大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(行コ)38号 判決

控訴人

文部大臣

西岡武夫

訴訟代理人弁護士

秋山昭八

外三名

指定代理人

飯村敏明

外九名

被控訴人

家永三郎

訴訟代理人弁護士

森川金寿

外二三六名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の本件訴えを却下する。

訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。

事実

〔主張〕

(本件訴訟は、被控訴人の著作に係る高等学校(以下「高校」という。)日本史の教科用図書「新日本史」―株式会社三省堂発行―(以下「本件教科書」という。)の昭和四三年用のものの改訂検定申請に対し、控訴人が昭和四二年三月二九日に第一審判決主文第一項(一)ないし(六)の改訂箇所についてした不合格処分(以下「本件不合格処分」という。)の取消を求めるものであり、控訴審を経て上告審に係属したところ、上告審は、訴えの利益について更に審理を尽くすべきものとして事件を当裁判所に差し戻した(最高裁判所昭和五七年四月八日第一小法廷判決)。そして右差戻後の当審においては、専ら訴えの利益の存否の点について審理を遂げ、これについての判断を判決(訴えの利益を肯定する場合には中間判決と、これを否定する場合には終局判決となるべきもの)をもって明らかにするために審理を終結したものであるから、以下においては、当事者双方の主張のうち右の点に関するもののみを摘示し、その余の本案前の抗弁及び本案に関する当事者双方の申立及び主張については、差戻前の控訴審判決の事実摘示及びそこで引用された第一審判決の事実摘示を引用する。)

(被控訴人)

第一  訴えの本来的利益について

一 上告審判決の趣旨

上告審判決は、教科用図書(以下「教科書」という。)検定基準の内容を成している学習指導要領(以下「指導要領」という。)が改正された場合には、原則として旧指導要領下で検定に合格した教科書について改訂検定を申請することは許されず、したがって、そのような教科書の改訂検定申請に対する不合格処分の取消を求める訴えは、指導要領が改正されたことにより訴えの利益を失うとしながらも、右の原則に対する例外として、指導要領の変動が微小であって審査基準の実質的な変更が少ない場合には、旧審査基準のもとで検定を経た教科書をそのまま使用させ、あるいはこれにつき新審査基準による改訂検定を経て部分改訂をしたものを使用させても、必ずしも教科書検定の趣旨、目的に反せず、また、その整合性、一貫性を損なうことなく、諸般の事情からみてそれが最も合理的と認められるような場合も想定されないではない、と論じたうえ、本件が右のような例外的に新審査基準による改訂検定が許される場合に当たるとすれば、被控訴人はなお本件各不合格処分の取消の訴えの利益を失わないということができるが、右のような解釈が可能かどうか、本件が右の例外的場合に当たるかどうかにつき的確な判断をするためには、更に改訂検定制度と審査基準の変更との関係についての検定審査の運用面からの考察を含むより具体的な究明と、本件指導要領の改正が本件教科書の記述に及ぼすべき影響の内容及び程度等についての検討を要する、と判示して、右の点の審理のため本件を原審に差し戻した。

ところで、改訂検定制度は、上告審判決も述べるように、改訂が比較的小部分にとどまる場合につき検定の労力と費用とを省くために設けられた特別の簡易検定制度であるところ、指導要領の改正により、当然に旧指導要領下で検定を経た教科書を使用し、新指導要領を基準として授業を行うことが許されなくなるわけではなく、また、指導要領の改正による変更が微小なものである場合には、教科書を全面的に書き改める必要がない場合も当然考えられるから、指導要領の改正の内容いかんによっては、旧指導要領のもとで検定を経た教科書について改訂検定を行うことが許されるとの解釈が可能であることは、極めて明白であるといわなければならない。そして、上告審判決にいう「改訂検定制度と審査基準の変更との関係についての検定審査の運用面からの考察を含むより具体的な究明」については、旧指導要領下で検定に合格した教科書について、指導要領改正後に改訂検定を申請した事例はないから、実例に即して検定審査の運用面からの考察を行うことは不可能であり、右判決の判示は、実際の運用面から、一般に指導要領が検定審査においてどのように機能しているか、本件の指導要領の改正が審査基準の実質的な変更を意味するかどうか、それが実際の検定や教科書の記述にどのような影響をもたらしているかの究明を求めているものと解すべきである。

二 教科書検定における審査基準としての指導要領の機能

1 指導要領と教科書検定との関係

指導要領は、直接的には教育現場の教師に向けられた教育課程の基準であり(学校教育法施行規則二五条、五四条の二、五七の二)、教科書の記述又は教科書検定に向けられたものではなく、両者の関係は間接的なもので、教科書につき指導要領への全面的、画一的な適合性は要請されていない。現に、昭和五六年の中学校教科書(三年用)、昭和五一年以後の高校の農業、工業、商業等の教科書のように、旧指導要領の全面的失効後に旧指導要領下で検定に合格した教科書が支給ないし採択、使用された例もあることは、この間の事情を物語っている。

また、最高裁判所昭和五一年五月二一日大法廷判決は、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて教育の内容・方法の基準を設ける場合には、「教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならない」とし、当該事件で問題となった昭和三三年の中学校指導要領の法的拘束力を全面的には肯定できないとしている。本件で問題となる指導要領についても、そのうちどの部分が大綱的基準として法的拘束力をもつのかが、その解釈運用のあり方と関連づけて精査されなければならない。

2 歴史教科書の記述の立脚点と指導要領の改正

歴史教育は、歴史学の学問研究の成果に基づき、かつ、教育基本法の掲げる平和と民主主義の教育理念の実現を目指してなされるべきものであり、社会、経済の発展や科学、技術の進歩によって影響されない。反面、児童・生徒の歴史意識や思想形成に密接な関わりをもつものであるため、政府与党の政策展開の都合のよいように操作されないようにすることが要請される。したがって、日本史教科書の改訂は、主として学説の発展の吸収、教育的配慮の見地からのものであるべく、指導要領が全面的に改正されたからといって、直ちに教科書の全面的改訂がされるべきものであるとはいえない。このことは、本件教科書が対象としている事象は過去の事実であって、産業構造の変化や科学的技術の進歩といったものによる社会的影響を受けにくい性格のものであること、高校日本史については科目としての変動が戦後全くなかったこと、昭和二七年の指導要領によって確立された戦後日本史教育の基本性格である科学性、総合性、世界性は、その後の数次の指導要領の改正を通じて維持されてきたと認められることによって、一層明らかである。

事実、被控訴人の著作に係る本件教科書の記述の大筋は、昭和二七年の初版本以来数次の指導要領の改正にもかかわらず変わっていない。

三 指導要領の変動の程度

本件改訂申請に係る教科書は、昭和三五年文部省告示九四号高等学校指導要領(以下「三五年指導要領」という。)のもとで新規検定に合格したものであり、その後指導要領は昭和四五年文部省告示二八一号高等学校学習指導要領(以下「四五年指導要領」という。)及び昭和五三年文部省告示一六三号高等学校学習指導要領(以下「五三年指導要領」という。)によりそれぞれ全面的改正がされている。しかし、教科書検定の審査基準としての指導要領の変更の有無は、それが単に抽象的・形式的な意味での全面的改正であるかどうかによってではなく、具体的・実質的な変更の有無によって決すべきである。そして、指導要領において、教科の内容は、教科及び科目の「目標」と科目の「内容」及び「内容の取扱い」の各項目によって具体化されており、前記各指導要領の「日本史」の科目(以下において、かぎ括孤つきの「日本史」は科目としての日本史を意味する。)に関係する部分の右各項目を対照した結果は、別紙一の対照表のとおりである。そこで、審査基準としての指導要領の変更の有無を判断するには右各項目がどのように変更されているかをみるべきであるが、指導要領の「日本史」に関係する部分のうち、文部大臣の定めた教科書用図書検定基準(以下「検定基準」という。)において援用されているのは、教科書及び科目の「目標」と科目の「内容」とであって、科目の「内容の取扱い」の部分は援用されていないから、検定における審査基準としての指導要領の比較検討は「目標」と「内容」とに重点を置いて行うべきである。高校「日本史」の場合、「内容」は通史叙述上触れざるをえないような大項目を並べている程度のものであるから、実際の教科書検定においてはそれほどの機能を果たしておらず、また、「目標」については、これを引用する検定基準の絶対条件の2(教科の目標との一致)、必要条件の3(内容選択の適切性)(昭和三三年の検定基準による)のうち、前者との関係で検定不合格となる例は見当たらないから、結局、「目標」が実際に検定審査上の機能を果たしているのは、後者すなわち内容の選択が「目標」に適合しているかどうかである。

具体的に三五年、四五年、五三年の各指導要領間に変動が存するかどうかを決定するにあたっては、各指導要領の特徴ないし基本的性格とされる点について比較を行う必要がある。そこで、控訴人が四五年ないし五三年の指導要領の特徴として主張する四点、すなわち「文化の総合的学習」、「地域社会の歴史と文化の学習(以下「地域学習」という。)」、「主題学習」、「内容の精選」を基準として検討し、殊に控訴人が最も大きな変化であると主張する「文化の総合的学習」に重点を置いて検討する。

1 「文化の総合的学習」という特徴について

(一)昭和三〇年の指導要領から三五年指導要領への変化

総合性という戦後高校日本史の基本的な枠の中での文化の取扱い方について指導要領上明らかな変化が生じたのは、昭和三〇年に定められた指導要領から三五年指導要領に改正された際である。すなわち、三五年指導要領の「日本史」の「目標」の(1)は、「特に日本の文化が、政治、社会、経済の動きとどのような関連をもちながら形成され、発展してきたかを考察させ、」と述べ、これにより文化の学習にウエイトが置かれることになった。しかし、右はあくまでも「総合性」の枠の中での変化であり、「文化の総合的学習」を強調するものにほかならない。

(二)三五年指導要領以降の変化

このような「文化の総合的学習」という特徴は、三五年指導要領以後、四五年、五三年の各指導要領においても一貫して継承されてきているものである。例えば四五年指導要領の解説は、右のような高校の日本史学習の基本的性格は「改訂前のそれを承継し、その趣旨をいっそう明確にしたもの」である、としており、更に五三年指導要領の解説も、同じ点について、高校の日本史学習は「従前においても、文化の総合的学習という性格を持っているのであるが、その性格をより明確にし、その観点からの学習を充実していくということである」としている。

2 「地域学習」という特徴について

「地域学習」の要請は、その性質からいって、教育現場の教師が地域や学校の特性に応じた観点から実施すべきものであり、全国的な汎用性を求められる教科書において画一的に取り扱うには適しない。したがって、これを取り上げなければ教科書としての適性を欠くことにはならず、指導要領でこれが強調されていることは検定基準の実質的な変更をもたらすものではない。したがって、「日本史」の内容として「地域学習」を取り上げた五三年指導要領も、教科書以外のしかるべき副教材を用いて各地の地方史の授業を行うことを求めるものと解すべきであり(四五年指導要領では「地域学習」は「内容の取り扱い」の中に記載されており、この点において既に検定審査基準における不可欠の要請とは認められない。)、実際、五三年指導要領下で検定に合格した教科書中には、後記の「主題学習」と別個のものとして「地域学習」を取り上げていない例もある。

また、そもそも高校の日本史教育では、戦後の当初から「地域学習」の意義は広く認識されていたものであり、三五年指導要領の「指導計画の作成および指導上の留意事項」の(6)イで「身近な資料などを活用して歴史的事象の具体化に努め」るものとされているのも、この趣旨にほかならない。

3 「主題学習」という特徴について

「主題学習」の要請も、「地域学習」と要請と同様、その性質からいって、現場の教師に向けられたものであり、直接教科書の記述に向けられた要請であるとは解し難い。このことは、指導要領の「主題学習」に関する表現が「指導することは望ましい」(四五年指導要領)、「学習させるように配慮する」(五三年指導要領)といったものであることによっても裏付けられる。しかも、右要請は指導要領の「内容の取(り)扱い」の項の中に記載されており、検定基準に援用されていない。

また、「主題学習」の要請についても、三五年指導要領がそれを排除しているとは考えられず、むしろ、その「指導計画作成および指導上の留意事項」の(6)ウには「生徒の自発的な学習の展開」などを進めることが記載されているが、このような学習は、適切な主題を設けることなしには成立しないものである。

4 「内容の精選」という特徴について

「内容の精選」という要請に関しても、三五年指導要領において既にその趣旨は盛り込まれていたものである(右指導要領の基礎となった教育課程審議会の答申の第2の(2)社会のア参照)。

また、後述のとおり、現実の教科書検定においては、右要請は検定基準として機能していない。

5 五三年指導要領における記載事項の簡略化とその意味

(一)「目標」の簡略化

五三年指導要領においては、「目標」と「内容」とが従前のものに比べて著しく簡略化され、社会科の「目標」として、「広い視野に立って、社会と人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う。」という事項のみを掲げ、「日本史」の「目標」として、「我が国の歴史における文化の形成と展開を、広い視野に立って考察させることによって、歴史的思考力を培い、現代日本の形成の歴史的過程と自国の文化の特色を把握させて、国民としての自覚を深める。」と規定するにとどめている。これらは、学校教育法四二条で規定している高校教育の目標、すなわち、「中学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養うこと」、「社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること」、「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」を当該教科・科目の外延・内包に即して確認的に掲げたものと解すべきであり、したがって、法の改正がない以上、これと従前の指導要領の「目標」との間に径庭があるとは到底考えられない。

(二)「内容」の簡略化

従前の指導要領の「内容」は、科目の教育内容として取り上げるべき大項目・中項目を列挙するにとどまらず、大項目ごとにその趣旨説明を施していたのに対し、五三年指導要領においては、これがすべて削除され、科目の内容として「何を」取り上げるべきかという点について規制するにとどまり、「どういう趣旨で」又は「どういう観点から」取り上げるべきかという点についての具体的な規制は行わない建前となった。

また、五三年指導要領では、中項目の数が減っているが、右は形式的に項目の統合を図ったものにすぎず、その実質的な内包において従前と異なるものではない。従前の指導要領に記載されていた中項目の歴史事実は、いずれも日本史の通史叙述において欠くことのできないものであり、五三年指導要領がその削除を求めているとは考えられない。仮に従前の内容の一部が削除されたとしても、「学校において第2章以下に示していない事項を加えて指導することも差し支えない」という指導要領総則の規定(第1章第7款2)に照らし、そのことが教科書の内容を制限する根拠にはならない。

(三)簡略化の法的意味

結局、五三年指導要領は、従前のものと比較して、より価値中立的なものとなったのであり、検定審査基準としても緩和されたのである。

そうすると、改訂検定の手続において、数科書中の改訂箇所以外の部分が、右のような性格の新審査基準による審査を経ないということによって、新審査基準に抵触するような記述が黙過されるということはありえず、したがって、改訂箇所それ自体が新審査基準に適合するものであれば、当該教科書の全体も(より厳格な旧審査基準に適合している以上)新審査基準に適合するものというべきである。

6 結論

以上のとおり、検定審査基準としての三五年、四五年、五三年の各指導要領の間には実質的な差異はなく、差異はむしろ昭和三〇年の指導要領と三五年指導要領との間に存する。

四 本件指導要領の改正が本件教科書の記述に及ぼすべき影響についての具体的検討

以下、本件教科書の具体的な記述内容に即して、昭和四五年及び昭和五三年に右記述に影響を与えるような指導要領の実質的変更があったかどうかを検討する。検討の対象とするのは、本件教科書のうち、三五年指導要領下で検定を経た昭和三九年全面的改訂教科書(以下「三九年本」という。)、四五年指導要領下で検定を経た昭和四八年全面的改訂教科書(以下「四八年本」という。)、五三年指導要領下で検定を経た昭和五六年全面的改訂教科書(以下「五六年本」という。)である。

1 本件教科書の構成・内容についての分析

(一)項目の変動状況の比較

三九年本、四八年本、五六年本の項目を比較対照すると、別紙二の「内容項目対照表」のとおりである。

これによれば、時代区分の方法には全く変化はなく、その余の点についても、多少の項目の入換え等はあるものの、大筋においてはみるべき変化はない。五六年本の古代と近世・江戸時代の部分における若干の変更は、主として新たに編集協力者として考古学の専門家と近世・江戸時代の専門家とが執筆に関与したためで、指導要領の改正とは無関係であり、小項目の変動も、そのうちの相当部分は、表現の変更、記述箇所の入換え、項目の分割又は統合によるものにすぎず、記述内容を変更したものではない。

(二)指導要領の改正と本件教科書の構成との関係

昭和四五年及び昭和五三年における指導要領の変動が微小なものにすぎないことは、控訴人が右指導要領改正における特徴的な箇所として指摘する点や、外見上重要とみえる右指導要領中の文言と、これら指導要領のもとで検定に合格した本件教科書の構成等との間に明白な齟齬があることからも明らかである。例えば、

(1)三五年、四五年、五三年の各指導要領における「大項目による時代区分」には文言上明らかに変化が認められる(別紙三の一参照)のに、これら指導要領のもとで検定に合格した各本件教科書の大項目(「編」)の構成は、別紙三の二のとおりほとんど変化がなく、一貫しており、かつ、指導要領の時代区分の方法に従っていない。

(2)本件教科書において、小項目「平氏の政権」(第5章2)はいずれも平安時代―貴族社会を扱った部分の最後の方に置かれているが、前記各指導要領では、いずれも右小項目は武家社会の成立―中世ないし鎌倉時代の最初の部分で扱うものとされており、右教科書記述は指導要領の文言に沿っていない。

(3)五三年指導要領では、それまでの指導要領で「摂関政治と院政」、「荘園の発達」、「国風文化の展開」の三つの項目に分かれていた箇所のうち、「摂関政治と院政」、「荘園の発達」の二つの項目に相当する部分が削られ、右三項目に代わるものとして、「大陸文化の摂取と文化の国風化―東アジア文化の影響と国家の形成、隋唐文化の摂取と律令制度の成立、国風文化の展開と地方の動き」が置かれた。その理由は、右指導要領の解説によれば、従来「それぞれの部門が事項羅列や過密となる傾向があった。この点を改め、中項目をすべて、文化とその時代の社会との関連を示すようにした」というのであり、右変更は、控訴人の主張からすれば、右指導要領の最大の特徴点である「文化の総合的学習」の顕著な例ということになるが、五六年本では、この点につき従来と全く同様に政治、経済、文化をそれぞれ独立した項目のもとに記述しており、なんら右指導要領の特徴点に対応するような記述の仕方をしていない。

(4)少なくとも本件教科書にあっては、その当初から文化に関する記述に力が注がれ、三九年本の段階で既に政治、経済、社会との関連で理解されるところの「文化」の視点が前面に出ており、指導要領の改正によって「文化の総合的学習」の視点が打ち出されたことが教科書の記述に反映するに至ったものとはいえない。

(三)本件教科書の本文についての分析

(1)本文の記述の変遷及びその理由について

次に、三九年本、四八年本、五六年本の本文の記述で外見上従前に比べ大きな変化があったとみられる箇所につき、実質的変化の有無・程度、変化の理由、特に指導要領の改正の影響の存否等を検討する。

変更された主な箇所(単なる構成の変更にとどまるものを除く。)と変更の理由をまとめると、別紙四の表のとおり一九箇所である。右一九箇所の記述についてその変更理由を分析、分類すると、次のようにいうことができる。

(ア)右変更箇所のうち、番号③ないし⑧、⑩、⑫ないし⑭、⑯、⑱、⑲の合計一三箇所は、歴史研究の進展や新しい発見により記述が変更又は追加されたものである。

(イ)番号⑨、⑪、⑭ないし⑰の六箇所(一部は右(ア)と重復する。)は、執筆者の教育的配慮に基づいて記述が変更されたものである。

(ウ)三九年本の主な変更箇所である①、②は、いずれも三五年指導要領に基づいて変更が加えられたもので、指導要領が教科書の記述に影響を及ぼしたものとも考えられるが、その変更の内容を検討すると、右影響は必ずしも明確なものではない。すなわち、①は三五年指導要領の文言を序論中の文章にそのまま挿入したものにすぎず、しかもその後指導要領の改正を経た後の四八年本及び五六年本でも右文言はそのまま維持されている。また、②は三五年指導要領を参考にして各編章のタイトルだけを変えたものであり、これに対する本文の記述に変更はない。

以上のとおり、指導要領の改正が教科書の記述に与えた影響はきわめて微弱である。

(2)「文化の総合的学習」等と本件教科書の記述

控訴人は、四八年本で項目の入換えが行われたいくつかの箇所につき、それらは「文化の総合的学習」を重視する四五年指導要領の改正の趣旨に沿ってされた記述の変更であると断じているが、いずれも事実に反する。

そのうち、第3章2の「天皇の出現」という項目が「大和政権」という項目に変わり、その次に新たに「古墳の発達」という項目が設けられたことについて、控訴人は、大和政権の勢力の発展に伴って古墳文化が各地の豪族の間に広がって行ったことを理解させるための配慮であるとするが、「天皇の出現」が「大和政権」に変わったのは、四八年本の一七頁で説明されているように、皇室の祖先が六世紀ころまで大王という称号を用いていたことが明らかになったため、「天皇」という表現を避けたにすぎず、「古墳の発達」の項目は、その後にある「風俗・文化」の項目に含まれていた古墳の発達に関する記述を抜き出して別項に移したにすぎないもので、控訴人の主張するような趣旨で行った改変ではない。また、第5章2で、従前「院政」の項目の次にあった「院政時代の文化」を「平氏の政権」の項目の次に移し、代わって「荘園の発達」の項目を新たに設けた点につき、控訴人は、右は、院政時代の文化を貴族政治の衰え及び武士の台頭という大きな歴史の流れの中で理解させるための配慮と、四五年指導要領の「日本史」の「内容」の(2)に「荘園の発達・変化、武士の発生とその中央進出に着目させる」とあるのとに基づいたものであると主張するが、「荘園の発達」の項目は、三九年本では第5章1に置かれていたのであり、被控訴人は、荘園に関する研究が著しく進展しているところから、その研究成果を教科書記述に取り入れるべく、第5章1に「荘園の成立」の項目を、第5章2に「荘園の発達」の項目を置くこととしたのであって、控訴人の主張は的はずれである。

(3)「地域学習」と本件教科書の記述

被控訴人は、昭和五二年に四八年本の改訂検定を受けた際、横浜市史に基づく記述を内容とする「民衆のくらし」という題の囲み記事を設けた。右は、地域学習の一例として援用することができるものではあるが、指導要領に「地域学習」が登場したことによって設けられたものではないことは、右囲み記事が初めて本件教科書に登場したのが右のとおり四八年本の改訂版であるのに対し、地域学習が指導要領の「内容」の項目として登場したのは昭和五三年であることからも明らかである。

(4)「主題学習」と本件教科書の記述

主題学習は授業などでかなり古くから行われていたものであり、被控訴人は、本件教科書において当初からその推進のために様々な工夫をこらして今日に至っている。すなわち、昭和二八年から使用された初版本以来、「研究問題」、「参考書目」、「日本史の研究方法」といった欄を設けていた。その後、三九年本ではいったんこれらの欄をすべて削除したが、四八年本で「研究問題」九問を復活した。右は、教育現場での機運の高まりにこたえたもので、指導要領の改正によるものではない。なお、五六年本では、同様に被控訴人の自主的判断に基づき、「日本史の研究方法」も、以前より縮小し、かつ、簡略化した形で復活させている。右のように、四八年本における「研究問題」の復活は、指導要領における「主題学習」の登場と時期を同じくしているが、それが被控訴人の自主的な判断に基づくものであることは、右「研究問題」がいったん廃止したものの復活であること、初版本では合計五七の問題を例示していたのに対し、四八年本で復活させたのは九問にすぎないことからも明らかである。

(5)「内容の精選」と本件教科書の記述

本件教科書では、改訂のたびに頁数が増える傾向にあり、右は、指導要領のうたっている「内容の精選」と明らかに矛盾する。このことは、「内容の精選」が指導要領改正に関して特徴とすべき点であるとしても、右の点は実際の検定の基準としては機能していないことを物語っている。

2 三五年、四五年、五三年の各指導要領下における他の教科書の記述内容の分析

指導要領に教科書の記述に直接影響を与えるような実質的な変化がなかったことは、本件教科書以外の高校日本史教科書の記述内容の分析からも明らかである。以下、株式会社山川出版社(以下「山川出版」という。)発行の「詳説日本史」と実教出版株式会社(以下「実教出版」という。)発行の「高校日本史」について述べる。

(一)山川出版「詳説日本史」について

控訴人側の所功証人は、昭和五三年指導要領の特徴として「文化の総合的学習」、「地域学習」、「主題学習」の三点を挙げたうえ、「詳説日本史」の昭和三九年に新規検定、昭和四二年に改訂検定を経たもの、昭和四八年に新規検定、昭和五二年及び昭和五五年に改訂検定を経たもの、昭和五七年に新規検定を経たもの(以下それぞれ「四二年詳説」、「五五年詳説」、「五七年詳説」という。これらはそれぞれ三五年、四五年、五三年の各指導要領のもとで検定を経たものである。)を検討の対象とし、そのうち四二年詳説と五七年詳説とを比較した結果につき、五七年詳説では、第一に「文化の総合的学習」は、①各部の初めに「○○文化の流れ」と題する記述を置き、世界史の動きと関連させながら日本文化の流れを概説したこと、②各章の初めに「時代と文化」の項目を設け、時代像を印象的にとらえられるようにしたこと、③それぞれの時代に関する具体的な史実や論点を「解説注」として置いたことにより具体化されており、第二に「地域学習」は、①各部の末尾に地域学習を展開する手掛かりとなる「研究問題」を置いたこと、②地域学習にも資する「解説注」を置いたことによって配慮されており、第三に「主題学習」については、五五年詳説から承継した記述に加え、新たに書き変えられた記述があるとして、その具体例を挙げている。

しかし、同証人が五七年詳説につき「文化の総合的学習」の具体例として挙げた記述のほとんどが、その後同じく五三年指導要領のもとで検定に合格した「新詳説日本史」(以下「新詳説」という。昭和六三年から使用)では削除されており、「地域学習」についても、五五年詳説と五七年詳説とでは記述に変化がなく、しかも同証人が地域学習の素材の具体例として挙げたもののいくつかが新詳説では削除されている。更に「主題学習」についても、同証人がその具体例として挙げた「研究問題」の相当数が新詳説では削除され、その代わりに五五年詳説の「研究問題」が復活している。

(二)実教出版「高校日本史」について

四五年指導要領のもとで昭和五四年に検定を経た教科書(以下「五四年高校日本史」という。)と、五三年指導要領のもとで昭和五八年に検定を経た教科書(以下「五八年高校日本史」という。)とを比較検討すると、

(1)項目については、コラムを二二項目から三九項目に増やした以外に実質的な差はない。

(2)本文についてもほとんど変化はない。例外的に変わったのは、歴史研究の進展状況を取り入れたり、表現を改善したりしたもので、昭和五三年の指導要領の改正とは直接関係がない。

(3)五四年高校日本史及び五八年高校日本史に関する各編修趣意書は、指導要領の改正にもかかわらず、一部の表現を除き内容的には全く同一である。

そして、右教科書の執筆を分担した宮原武夫証人は、昭和五三年の指導要領改正の特徴とされるもののうち、「文化の総合的学習」については、特に従前の記述を改変する必要は感じられず、「地域学習」、「主題学習」については従前から取り入れていたところであり、「内容の精選」については、大学受験との関係からいって記述内容を減らすことは不可能であると述べており、また、右教科書の記述中には、「国風文化」や「鎖国」の記述にみられるように、指導要領と全く対応していない箇所もみられる。

3 結論

以上のような教科書記述の検討結果からしても、三五年、四五年、五三年の各指導要領の間で実質的な変更は微小であることが明らかである。

五 教科書検定の運用の実態と指導要領の機能

1 教科書検定制度と審査基準としての指導要領との関係について

教科書検定における審査基準それ自体は、当局の恣意による検定を防止するために導入されたものであるから、検定申請者を細部についてまで拘束するものではないと解すべきであるが、以下においては更に、指導要領が教科書検定の審査基準としてどのような機能を営んでいるかを、検定制度の運用の実態、殊に本件教科書に対する検定の実態に照らして検討する。

2 教科書検定における編修趣意書の意義

「教科用図書検定規則の細目」(昭和五四年文部省教育局長通知)によれば、新規検定の申請にあたって、添付書類として「編修趣意書」を提出することになっており、それには、指導要領の内容と教科書原稿の内容との対応関係を記載すべきものとされている。実際には、編修趣意書は、教科書の原稿ができあがってから出版社がその責任において作成するのが普通であり、著作者はこれに関与しない。

これらの事実からすれば、編修趣意書に指導要領の内容と教科書原稿の内容との対応関係が記載されているのは、単に検定手続上の要請に従ったものにすぎず、必ずしも実質的に教科書の記述が指導要領に依拠していることを意味するものではない。

仮に指導要領の改正に応じて教科書の内容が変わるのであれば、指導要領の改正に伴い、これに対応するものとして編修趣意書に記載される教科書原稿の内容の記述にも変更が生じなければならないはずであるが、実際に検定を経ている教科書の編修趣意書において、指導要領が改正されているにもかかわらず、教科書原稿の内容の記述が基本的に変わっていない例が存する。すなわち、四五年指導要領のもとで検定に合格した五四年高校日本史の編修趣意書と、五三年指導要領のもとで検定に合格した五八年高校日本史の編修趣意書とを比較すると、指導要領の改正にもかかわらず、教科書原稿の内容についての記述は基本的に変わっていない。記述の変更があったのは、五四年高校日本史から既にあった地域学習に関する教科書原稿中の記述について、五八年高校日本史の編修趣意書では五三年指導要領に対応するものである旨の表現をした点のみである。

本件教科書の編修趣意書には、指導要領に対応して教科書の記述をしたように読める所があるが、実際の教科書の記述はそのような趣旨でされたものではない。例えば、昭和五六年本の編修趣意書の第六項には、「『生活文化の取扱いに当っては、民俗学などの成果を活用して、その具体的な様相を把握させるよう』につとめ、従来欠けていたこの分野の叙述に意を用いました」と述べているが、本件教科書では既に三九年本の二〇頁の一二行目から一四行目にかけて、「農耕のはじめに穀物が豊かに実ることを祈る春の祈年祭と、収穫を感謝し来年の豊熟を祈る秋の新嘗祭とがもっともたいせつな行事となった。」との記述があり、同じく八五頁の一五行目から一七行目にかけて、「木綿の衣服と瀬戸物の飲食器が庶民の間にまで普及したのは、つぎの時代にはいってからのことと思われるが、これらは日本人の日常生活をどのくらい快適にしたであろうか。」との記述がある。これらから明らかなように、実際上は、本件教科書には五三年指導要領以前から民俗学的な要素が取り入れられていたのである。また、右編修趣意書の第七項には「民衆のくらし」という項目の説明として「『地域社会の歴史と文化』の学習に役立つために」との文言があるが、前述のとおり、実際には、右項目はその前の段階から本件教科書に取り入れられていたものである。

3 指導要領の全面的改正と本件教科書の検定における教科書調査官の対応

(一)四八年本の検定について

右検定においては、改正された指導要領に対する教科書記述の不適合を指摘されたことは全くなかった。

(二)五六年本の検定について

第二次教科書“偏向”キャンペーンの影響で、以前にもまして検定が厳しくなり、五六年本は多数の検定意見を付されて条件付合格となったが、右検定においても、指導要領の改正と関係のあるような検定意見を付されたことはなく、政治情勢や教科書調査官の考えを反映した検定意見が付されているにすぎない。

4 検定の運用の実態

(一)教科書“偏向”キャンペーンと教科書検定

昭和三〇年からの第一次教科書“偏向”キャンペーンの結果、検定のために教科書に入れることのできなくなった記述として、本件で問題になっている古事記・日本書紀の記述、すなわち「神代の物語はもちろんのこと、『古事記』『日本書紀』に書いてある神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事も、すべて大和朝廷が日本を統一して後に皇室が日本に君臨するいわれを権威づけるために作り出した物語である。」との記述がある。右記述は、昭和二七年の検定ではそのまま認められ、以後昭和三二年の検定までそのまま維持することができたのに、昭和三七、三八年の検定以後は許されなくなったものであるが、これに付された検定意見は、検定基準の中の「正確性」の項目に由来するもので、指導要領を援用した部分によるものではない。すなわち、右記述は、指導要領の改正によってではなく、検定権者が検定を強化したために許されなくなったのである。

教科書検定は、昭和五五年に政権政党及び財界による第二次教科書“偏向”キャンペーンが行われて以来更に強化され、それまで検定意見が付されなかった「偽官軍」についての記述、侵略についての記述、南京大虐殺についての記述について、新たに検定意見が付されるようになったが、これらの記述に対する検定意見の内容は、いずれも指導要領の改正と関係のないものである。

(二)「侵略」等の記述に関する日本政府の是正声明と教科書検定

昭和五七年に、教科書における「侵略・進出」「南京大虐殺」等の記述をめぐって中国、韓国から抗議がされ、教科書検定が国際問題化し、これに対して日本政府が近隣諸国から批判を受けた教科書記述を「政府の責任において是正する」こと等を明らかにしたが、その後にされた検定は、検定がそのときどきの政治状況を反映していることを端的に示したものということができる。被控訴人は、南京大虐殺に関して、昭和五五年度の検定では、不本意ながら「日本軍は、(中略)激昂裏に南京を占領し」と、「激昂裏に」という残虐行為の性質を弱めるような記述を加えることを余儀なくされていたが、右是正声明後の昭和五八年度の検定の際は、そのような必要がなくなった。右両年度の検定の間に指導要領の改正はなかったから、右は、政治状況に基づく検定方針の変更によるものとしか考えられない。

(三)教科書調査官、教科用図書検定調査審議会委員の選任と教科書検定

教科用図書検定調査審議会委員は文部大臣が任命することになっており(昭和二五年政令一四〇号)、また、教科書調査官も、文部省の職員として文部大臣によって任命される。文部大臣に党人がなり、右審議会委員、教科書調査官の選任の公正を担保する方法がない現行法のもとでは、憲法及び教育基本法の理念に従った検定が行われない危険がある。

(四)検定基準と別個の審査基準の存在

実際の検定が、検定基準や指導要領と関係のない教科書調査官による内部基準に基づいて行われていることは、高橋史朗著「教科書検定」の巻末に掲げられた検定覚(案)(甲第三五七号証)の存在や、文部省作成に係る「昭和三九年度の検定について」と題する文書(甲第五八号証)で、社会科(歴史)の教科書について「たとえば、わが国の歴史について、その欠陥や失敗、暗い社会面などに特に重点を置いて教えようとするのは、妥当な扱い方とはいえない。」と述べられていること、三九年本の検定の際文部省側から「特に近代史以降について感ずる問題だが、日本の国というものに対する尊敬、国に尽くした先輩に対する尊敬が足りない。」等の発言がされたことによっても明らかである。そればかりか、例えば、三五年指導要領の「日本史」の「内容」の項には「戦争のもたらす人類の不幸や損失について深く考えさせる」とあるにもかかわらず、被控訴人は、検定で本件教科書の戦争の部分が全体として暗すぎると言われ、右の点につき考えさせる素材を十分に教科書の中に盛り込むことができなかったこともあり、検定の実際の運用はむしろ指導要領の趣旨を逸脱して行われている。

控訴人は、別件第一次教科書検定訴訟の準備書面(乙第二〇四号証)中で、本件教科書の検定に際し、指導要領中の「目標」に基づく指摘がされたと主張するが、右は事実に反するのみならず、右準備書面に引用されている指導要領の内容は、従前の指導要領にも掲げられていたもので、改正によって新たに加わったものではない。本件で問題になっている「歴史をささえる人々」、「古事記・日本書紀」、「日ソ中立条約」に関する記述についてみられるように、指導要領が変わらないのに、同一の記述が合格になったり不合格になったりするのは、検定の運用が検定基準によっていない証左である。

5 以上によって明らかなとおり、教科書検定の運用の実際面においては、指導要領の機能はさほど大きくはない。したがって、指導要領の全面的改正があっても、検定の実際の運用に変化はないと考えられるから、右全面的改正後に旧指導要領のもとで検定を経た教科書につき改訂検定を行っても不都合はない。

六 結び

以上のような、三五年、四五年、五三年の各指導要領の分析・検討、この間の指導要領の改正が本件教科書の記述に及ぼすべき影響の有無・程度に関する具体的な教科書記述についての分析・検討及び検定審査の運用面の検討の結果によれば、本件で問題となった指導要領の変動は微小であり、審査基準の実質的な変更は少ないことが明らかになった。なお、現実の問題としても、本件検定で不合格とされた三件六箇所の改訂箇所のうち、「古事記・日本書紀」に関する記述は検定基準の「正確性」の2の基準に照らして不合格とされたのであるから、指導要領の変更とは関係がなく、「歴史をささえる人々」及び「日ソ中立条約」に関する記述はいずれも検定基準の「内容の選択」3等(三五年指導要領の「日本史」の「目標」の(2)、(5)、(6))に照らし不合格とされたが、これら記述の内容からみて、これらが現行の指導要領により合格とされ、三五年指導要領のもとで検定に合格した本件教科書に組み入れられたとしても、これによって右教科書の爾余の部分との間に不整合、不統一を生ずるとは到底考えられない。したがって、被控訴人は本訴請求について訴えの利益を有するものである。

第二  訴えの付随的利益について

一 付随的利益の存在

行政事件訴訟法九条ただし書によれば、行政処分の効果の消滅後も、処分の取消によってなお回復すべき法律上の利益がある場合には、訴えの利益が肯定されるところ、仮に第一で述べた被控訴人の主張が理由がなく、本件訴えの本来の目的である本件教科書の教科書としての使用の回復の法的な可能性が失われたとしても、本件不合格処分の取消によってその公定力を覆すことにより、本件教科書を教育現場で副教材などとして使用することができるようになるのであるから、右ただし書により、訴えの利益はなお失われないものというべきである。すなわち、学校教育法二一条一項は教科書の使用について規定し、同条二項は、「教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」と定め、また、同法施行規則七三条の一二においては、検定に合格した図書以外の図書を特殊学校で教科書として使用することについて定めている(以下、これらの態様において使用される図書を包括的に「副教材等」という。)が、昭和二三年八月二四日の文部省教科書局長通達によれば、教科書検定で不合格となった図書は、副教材等としての使用も禁じられている。そして、最高裁判所昭和五五年一一月二五日判決の趣旨によれば、行政処分を理由に被処分者を不利益に取り扱いうることを定めた法令の規定があれば、処分そのものの効果の消滅後にもその取消を求める訴えの利益を肯定しうるのであるから、この点においても被控訴人は訴えの利益を失わない。なお、本件上告審判決は、被控訴人の付随的な訴えの利益に関する主張に対して判断を示すことなく、専ら本来的な訴えの利益について更に審理させる必要があることを差戻しの理由としているが、右は、付随的利益について消極に解する趣旨を含むものではなく、単にさしあたり本来的な訴えの利益の存否について審理すべきことを差戻審に求めたにすぎないものと解すべきである。

二 本件教科書が副教材として使用されることの意義

本件教科書を副教材として使用することは、多様な見解、史観の対立する中で、他の教科書と内容を比較させることにより、生徒の歴史認識を深める効果があり、歴史教育上きわめて有益である。

現行法上、副教材の使用についてはおおむね届出制又は承認制が採られているが(地方教育行政の組織及び運営に関する法律三三条一、二項)、承認制の場合はもとより届出制の場合にも、教科書検定に不合格となった図書を副教材として使用することは実際上不可能である。

三 副教材等としての使用の可能性の回復と法的利益

教科書及び副教材等について定めた学校教育法二一条等の規定は、教科書検定に不合格となった図書が副教材等として使用されることを予定しているものとは考え難く、したがって、検定不合格処分は、当該図書の副教材等としての適格性に対する判断をも包含しているものと解すべきである。それゆえ、前記教科書局長通達は学校教育法の規定の解釈として妥当である。

してみると、副教材等としての使用が不可能なことは法令に定められた不利益な取扱いに該当し、また、右不利益は現在のものであるから、被控訴人がこれを回復することによって得る利益は、法的利益に当たるものというべきである。

(控訴人)

第一  訴えの本来的利益について

一 指導要領と教科書検定

指導要領は、学校教育法四三条、一〇六条一項、同施行規則五七条の二等の規定により文部大臣が定めた教育課程の基準として法的拘束力を有するものであり、他方、教科書は、同法二一条一項、四〇条、五一条、七六条の規定により小学校、中学校、高校等で使用することが義務づけられている児童又は生徒用図書であって、教育課程の構成に応じて組織排列され、教科の主たる教材たるべきものである(教科書の発行に関する臨時措置法二条一項)。そして、国民の教育を受ける権利を保障している憲法二六条一項に基づき、国は、教育の機会均等を実質的に保障し、全国的にその一定の水準を維持し、かつ、その向上を図るとともに、教育の中立性と適切な教育内容とを確保し、児童・生徒の発達段階に応じた適切な教育的配慮を行うという学校教育に対する要請にこたえるため、教育内容について指導要領により大綱的な基準を定めるとともに、教科書について検定制度(前記学校教育法二一条一項参照)を設け、かつ、その使用義務を課している。このように指導要領と教科書検定とは一体的な関係にあるから、検定における教科書の適格性の判断の中核となるのはその指導要領への適合性であり、一般に指導要領が全面的に改正された場合、改正前の指導要領に基づいて編集・著作された教科書はもはや教科書としての資格を事実上喪失するものといっても過言ではない。

文部大臣は、学校教育法八八条、一〇六条の委任に基づき、検定のための手続規定として教科用図書検定規則(以下「検定規則」という。)を定め、更に同規則(同規則は昭和二三年文部省令四号により制定され、昭和五二年に同年文部省令三二号により全部改正されているが、検定手続の基本的な構造は改正の前後で変わりはないので、以下便宜上特に断らない限り現行規則の規定を引用する。)三条に基づいて検定基準を定めている。そして現行の高等学校教科用図書検定基準は基本条件(各教科に共通で、これに合格しないときは教科書として絶対的に不適格とされるもの。1教育の目的との一致、2教科の目標との一致、3取扱い方の公正の三条項から成る。)と必要条件(それとの不適合は欠陥を意味するが、絶対的な不適格を意味しないもの。各教科ごとに定められる。)とから成り、社会科の場合、後者は、教科用図書の内容とその扱い(1範囲、2程度、3選択・扱い、4組織・配列・分量)、教科用図書の内容の記述(1正確性、2表記・表現)、教科用図書の体裁、創意工夫の各項に分かれるが、このうち、基本条件の2項(指導要領に示すその教科の目標に一致していること)、必要条件の「範囲」(指導要領に示す内容を取り上げていること、指導要領に示す目標及び内容に照らして、不必要なものは取り上げていないこと)、必要条件の「組織・配列・分量」の(6)(全体の分量が指導要領の標準単位数に対応する授業時数で、ゆとりをもって指導できるものであること)において、実質的な審査基準を指導要領の「目標」、「内容」に譲っている。また、検定基準の必要条件の「選択・扱い」及び「組織・配列・分量」のそれぞれにおいて「学習指導を進める上に適切であること」という観点を示すとともに、検定基準実施細則の該当箇所で、実質的な審査基準となる部分を、指導要領の「内容の取扱い」及び「各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い」に譲っている。

このように、指導要領は、検定基準及び同実施細則の定める限度で、実質的な検定審査の基準となっているのであり、各学校における実際の教育活動においては、指導要領の定める範囲内で、地域、学校、児童・生徒の実態に応じて教育課程の弾力的な編成及び実施を図る必要があるのに対し、教科書は、全国的な見地から一定の水準を維持した標準的な内容を確保すべきものであるから、指導要領は、教科書検定においてこそ、より厳格に解釈され、適用される必要があるといえる。

二 指導要領の改正と改訂検定

被控訴人の本訴請求は、昭和三八年度の検定を経た本件教科書につき、昭和四一年に改訂検定を申請して不合格となったので、右不合格処分の取消を求めるものであるが、当時効力を有したのは三五年指導要領であったところ、その後右指導要領は昭和四五年に同年文部省告示二八一号によって全面的に改正され、昭和五一年三月三一日の経過をもって完全に失効した。この結果、前記改訂検定に適用される審査基準も変更をみるに至ったものであり、仮に本件不合格処分が取り消されても、右改訂検定申請に対し三五年指導要領によって審査することはできないのであるから、原則として被控訴人は右不合格処分の取消によって回復すべき利益を失うに至ったものというべきである。

すなわち、改訂検定(検定規則四条三項、旧検定規則一〇条、一一条)の制度は、検定を経た教科書の内容を部分的に改訂した場合には、改訂を加えていない部分については既に審査基準に適合するとの判定がされている以上、改訂の範囲が比較的小部分であるものについてまで改めて内容全体にわたって審査をやり直すことは実益に乏しく、不経済であるところから、改訂箇所が全体の頁数の四分の一未満である場合には、例外的に改訂箇所のみについて局部的な審査を行い、改訂箇所ごとに個別的に合否を判定し、これに合格すれば、改訂部分を含む教科書の全体が検定を受けた教科書としての効力を取得するという簡易な検定手続を特に便法として認めたものである。このような改訂検定の性質からすると、改訂検定がされるには、教科書が当初に新規検定を受けた時の審査基準と改訂検定時の審査基準とが同一のものであることを要するものというべきである。すなわち、検定は原則として検定時における審査基準によって行われるものであるところ、審査基準の実質的変更があった場合にも改訂検定を実施するとすると、当該教科書の一部は旧審査基準によって、他の部分は新審査基準によって検定を受けることになり、教科書としての統一を欠き、検定の本旨に反する結果になるからである。

また、そもそも指導要領の変更は、教育課程の内容、方法の変更を招くのであるから、旧指導要領に基づいて検定を受けた教科書は、新指導要領に基づく教育課程に適合しないことになるのであり、指導要領が全面的に改正された場合には、新指導要領のもとで検定を受けた教科書が使用されるのが本来のあり方なのである。

三 昭和四五年及び昭和五三年の指導要領の改正

1 高校指導要領改正の経過

(一)文部大臣は、教育課程審議会の審議に基づいて、昭和三三年一〇月、道徳教育の徹底、基礎学力の向上、科学技術教育の振興、中学校における生徒の進路・特性に応ずる教育の充実等を基本方針として小・中学校の新しい教育課程の基準を決定したが、その結果、高校では昭和三八年四月一日以降第一学年に入学する生徒から右新教育課程によって学んだ生徒を迎えることとなったため、高校の教育課程に改正を施す必要が生じた。そこで、文部大臣は、教育課程審議会に諮問して昭和三五年にその答申を得たうえ、これに基づいて同年文部省告示九四号により三五年指導要領を決定、告示し、その実施に伴い従前の検定基準は廃止され、同年文部省告示一〇一号をもって新しい検定基準が決定、告示された。右指導要領において「日本史」の「目標」として掲げられた事項は、別紙一の「昭和35年版」の欄の該当箇所に記載されたとおりである。

(二)その後、三五年指導要領の実施に伴い、右指導要領で基本方針とされた道徳教育の充実や基礎学力の向上が期待どおりの成果を挙げていないこと、科学技術の進歩を軸とする社会の進展、日本の国際的地位の向上に教育課程が十分適合していないこと、高校への進学率が著しく上昇したため、生徒の能力・適性に応じてその可能性を開発するため教育内容の改善を図る必要があることなどの問題点が指摘されるようになった。このような状況のもとで、教育課程審議会は、文部大臣の諮問に対し、昭和四四年九月、①人間としての調和ある発達を目指すこと、②国家、社会の有為な形成者として必要な資質の育成を目指すこと、③教育課程の弾力的な編成が行われるようにすること、④教育内容の質的改善と基本的事項の精選、集約を図ることを改善の基本方針とする答申を行った。

これを受けて文部大臣は、昭和四五年文部省告示二八一号をもって、三五年指導要領を全面的に改正し、昭和四八年四月一日から施行する四五年指導要領を決定、告示した。その中で、「日本史」の「目標」とされた事項は、別紙一の「昭和45年版」の欄に記載されたとおりである。

右指導要領の実施にあたって、文部省は、新しい検定基準を決定、告示し(昭和四五年文部省告示二八四号)、新検定基準は昭和四八年度以降高校の第一学年に入学する生徒の使用する教科書の検定から適用されることになった。

(三)その後もわが国の学校教育は一層の普及発展を遂げ、高校への進学率が九〇パーセントをこえるに至り、これにどのように対応するかの問題や、知識の伝達への偏りを是正して真の意味における知育を充実し、児童・生徒の知・徳・体の調和のある発達をどのように図っていくかの問題等が生じてきた。そこで、文部大臣は、昭和五一年一二月の教育課程審議会の答申に基づき、昭和五三年文部省告示一六三号をもって四五年指導要領を全面的に改正し、新しい高校学習指導要領すなわち五三年指導要領を決定、告示した。その改正の基本方針は、①学校の主体性を尊重し、特色ある学校づくりができるようにする、②生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにする、③ゆとりのある充実した学校生活が行われるようにする、④勤労の喜びを体得させるとともに徳育・体育を重視する、の四点にあり、その中で「日本史」については、「我が国の歴史における文化の形成と展開を、広い視野に立って考察させることによって、歴史的思考力を培い、現代日本の形成の歴史的過程と自国の文化の特色を把握させて、国民としての自覚を深める」ことが学習指導の「目標」とされ、「内容」及び「内容の取扱い」にその趣旨が一貫して生かされるように配慮された。

文部省は、右指導要領の実施にあたって、新検定基準を決定、告示し(昭和五四年文部省告示一三四号)、右検定基準は昭和五七年度以降高校の第一学年に入学する生徒の使用する教科書の検定から適用されることとなった。

(四)以上述べたとおり、指導要領の改正は、時代の進展や学校の現状に応じつつ教育内容を改善充実させるという観点から行われるものであり、その改正内容は、教科・科目の編成、授業時数、履修方法、各教科・科目の指導内容など広範にわたっている。しかも、それらは相互に関連し合いながら、全体として教育課程の編成及び実施についての理念の変更につながっている。したがって、指導要領の改正の内容は、単に部分的な対比によって論ずべきではない。例えば、指導要領では、各教科について各教科に属する科目に共通する「目標」を掲げ、次いで各科目については「目標」、「内容」及び「内容の取扱い」の三項目が設けられているが、そのうち、「目標」ではその科目の学習のねらい、意義など学習の理念ともいうべきものを示し、その理念を科目の内容に即して具体化したものが「内容」であり、それを実際に学習させていく際の方法や重点化すべき視点等を示したのが「内容の取扱い」である。したがって、各科目についての指導要領の趣旨の全容を的確に把握するためには、これらを全体的に考察することが必要である。

2 昭和四五年の指導要領改正の具体的内容

(一)教育課程全般について

(1)必修科目

三五年指導要領では、教養の偏りを避けるため必修科目を多くした(普通科男子で一七科目(女子一八科目)、六八ないし七四単位(女子七〇ないし七六単位)。社会科については五科目)。これに対し、四五年指導要領では、教育課程の弾力化のため必修科目を大幅に削減し、この結果普通科男子の必修科目は一一又は一二科目、四七単位(女子については、一二又は一三科目、四七ないし四九単位)となり、社会科の必修科目は四科目(倫理・社会及び政治・経済の二科目と日本史、世界史、地理(A又はB)のうち二科目)となった。

右のような必修科目の変更が科目としての「日本史」に与える影響としては、それ自体が必修科目でなくなった結果、生徒の能力・適性に応じて選択・履修されることになったという点と、生徒が世界史、地理を併せて履修していることを必ずしも期待できないという点がある。

(2)教科・科目の構成及び内容

各科目の内容を基礎的、基本的事項に精選し、集約し、また、「数学一般」、「基礎理科」、「初級英語」等の基礎的、総合的な科目を新設する一方、三五年指導要領で各科目につき設けられた内容の程度によるA、Bの区別は廃止された。

(二)社会科の「目標」について

昭和三五年の教育課程審議会の答申では教養の偏りを少なくすることに重点が置かれていたのに対し、昭和四四年の同審議会の答申では、急激な経済、社会、文化などの進展の中でおびただしい情報に対処しなければならなかった当時の状況にかんがみ、広い視野からの理解と公正な判断力とを備えた社会生活の主体としての人間を形成することを重視している。このことが四五年指導要領の社会科の「目標」における、「社会生活の発展を時間的および空間的に把握させる」、「問題を建設的に解決しようとする態度」を養う、「さまざまな情報に対処し、公正に判断しようとする態度」を養うなどの点の強調となっており、教科書の記述においても、改正された「目標」に沿って適切な配慮が加えられる必要がある。

(三)「日本史」について

昭和三五年の教育課程審議会の答申は、「日本史」について、単に「日本の文化の流れを政治や社会との関連において考察させる」とするものであったが、昭和四四年の同審議会の答申は、「わが国の歴史を広い視野に立って正しく理解させ、特に日本の文化を時代的背景や歴史の流れと関連させながら総合的に考察させて、国民としての自覚を育てるように配慮すること、および主題を設けて学習させることができるようにすること」を掲げ、内容の取扱い上の視点や指導方法にまで立ち入って改善すべき方向を示した。これに応じて、指導要領の「日本史」の「目標」、「内容」及び「内容の取扱い」については、それぞれ次のような改正が行われた。

(1)「目標」

まず、三五年指導要領の「目標」の(1)は四五年指導要領の「目標」の(1)に対応するが、前者では「日本史の発展に関する基本的事項の理解を系統的に深め」とあったのが、後者では「特に日本の文化の時代的背景や歴史の流れと関連させながら総合的に考察させて」と改められ、日本史の発展に関する基本的事項の系統的学習から文化の総合的学習へという「日本史」の性格の変化が示され、また、後者では「国民としての自覚を深め」という新しい目標が加わって、国家に対する理解と愛情とを深めようとしている。

三五年指導要領の「目標」の(2)は、四五年指導要領の「目標」の(2)に対応するが、後者では「歴史的思考力をつちかい」という目標が加わり、生徒の思考力、学習能力を育てることが重視されている。

三五年指導要領の「目標」の(5)は、四五年指導要領の「目標」の(3)に対応するが、後者では「世界の歴史におけるわが国の文化の形成過程を考察させ」るという目標が加わっている。これは、四五年指導要領の「日本史」の「目標」の(4)や「内容の取り扱い」の(1)とあいまって、文化をその創造、発展及び伝播という動態面でとらえ、文化を時代的背景との関連において総合的に考察させようとするものである。

三五年指導要領の「目標」の(6)は、四五年指導要領の「目標」の(5)に対応するが、後者には「歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する態度を養う」との目標が新しく加わっている。これは、前述の社会科の「目標」とも関連し、複雑な社会事象に対して多角的、総合的な考察を行うことによって、公正な判断を下すという態度を養うことが社会生活上特に重要であるとの考え方に基づくものである。

(2)「内容」

三五年指導要領は「内容」が一〇項目で構成されていたのに対し、四五年指導要領では七項目に改められている。これは、古代、中世、近世といった大時代区分に従うことによって、年代史的、事件史的学習に流れるのを避け、かつ、内容の精選、集約という目的をも果たしつつ、それぞれの時代における文化の動向を大きく把握し、時代的背景と関連させつつ文化の総合的学習ができるようにしたものである。

次に、近・現代については、全七項目のうち三項目をこれに充て、日本史全体の中で近・現代の占める比重をより大きなものとしている。

「内容」の各項目を個別に比較しても、例えば、三五年指導要領の「内容」の(10)と四五年指導要領の「内容」の(7)との間には、「特に原子力時代といわれている今日では、戦争を防止し、民主的で平和な国際社会を実現することが、わが国民にとっても、また人類全体にとっても、重要な課題になっていることを考えさせる」という記述の追加があるなどの改正が行われている。

更に、各項目の標題の文言においても、各時代の「文化」をその冒頭に掲げて「○○文化と○○」という形式をとるものが多く、文化の学習を重視する趣旨が示されている。

(3)「内容の取り扱い」

「内容の取り扱い」については、内容的に次のような大きな改正がある。

第一に、四五年指導要領では、「文化とそれを生み出した時代的背景との総合的な関連などに着目させ、その時代の文化の性格を形づくったさまざまな要因について総合的に考察させる」として、文化の総合的学習を日本史学習の基本としている((1)のア)。

第二に、「地方の文化については、中央の文化の地方への伝播・普及という視点にとどまらないで、地域ごとに特色あるものを形成した地方の文化を、地域社会のありさまと関連させて取り扱う」このを特記し、地方の文化についての学習を強調している((1)のイ)。広く日本の全地域とすべての階層の人々とに視点を置いてその多様な文化に着目することは、日本の文化の総合的な把握のためにも有効であり、文化の形成の問題を具体的条件に即して考えさせることにもなる。これに関連して、指導要領の(1)のウでは、「史跡その他の遺跡、遺物、道具、民間風俗などの具体的な文化遺産を取り上げ」ることが必要であるとされている。

第三に、近・現代史の扱いについて、「近・現代史の指導に当たっては、特に慎重な態度で臨み、客観的かつ公正な資料に基づいて、歴史の事実に関する理解を得させるようにする」こととされており((3)のウ)、これは「日本史」の「目標」の(5)「歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する態度を養う」ことに結び付く重要な改正であり、「内容」において近・現代史を重視したこととも関連する。

第四に、「『日本史』の目標を達成し、生徒の歴史的思考力をいっそう高めるため歴史的な流れの学習の中で、適切な主題を設けて指導することが望ましい。」とし((2))、いわゆる主題学習を導入することにより生徒自身による積極的な学習を展開することを意図している。

(四)以上のとおり、四五年指導要領は、「日本史」の学習について、学習内容を基礎的、基本的事項に精選、集約すること、学習内容を世界史を履修しない生徒にとっても適切なものとすること、歴史的事象の単なる系統的な羅列でなく、文化を中心として歴史を総合的に学習させること、国民としての自覚を深め、歴史的思考力を養うこと、地方の特色ある文化についての学習を取り入れること、近・現代史を重視し、客観的で公正な理解が得られるようにすること、主題学習を取り入れること等の点において三五年指導要領を全面的に変更しているのであり、これにより、教科書の記述全体の構成、重点の置き方、記述内容等にも当然に変更が要請されるのである。

3 昭和五三年の指導要領改正の具体的内容

(一)教育課程全般について

五三年指導要領では、必修科目とその単位数が大幅に(約三割)削減され(その結果、普通科の男子の必修科目は七科目、三二単位(女子については八科目、三二ないし三四単位)となった。)、必修科目として「国語Ⅰ」、「現代社会」、「数学Ⅰ」、「理科Ⅰ」が新設され、原則として第一学年で履修することとされた。これら必修科目は、中学校教育との関連を特に考慮し、高校教育として必要とされる基礎的、基本的内容を精選、集約して構成された総合的ないし広領域的な科目であり、このような必修科目の変更は、他の教科・科目にも大きな影響を与える。

また、教科・科目の構成・内容を基礎的、基本的な事項に精選、集約しようとする方針は、五三年指導要領において一層推進されている。

(二)社会科の「目標」について

五三年指導要領の社会科の「目標」は、四五年指導要領の「目標」の冒頭の総括的部分とほぼ同旨であるが、「広い視野」すなわち、多角的、多面的な考え方に立つことや公民的資質を養うことが強調されている。

(三)「日本史」について

四五年指導要領で打ち出された、文化の総合的学習、内容の精選、地域学習及び主題学習が一層推進されることとなった。

(1)「目標」

「我が国の歴史における文化の形成と展開を、広い視野に立って考察させることによって、歴史的思考力を培い、現代日本の形成の歴史的過程と自国の文化の特色を把握させて、国民としての自覚を深める。」として、世界史的視野に立ち、かつ、政治、経済、社会との関連において総合的、多角的に文化の形成と展開とを把握すること、歴史的事象ないし今日の社会的事象の本質をとらえる能力を養うこと、日本文化の形成、発展の過程の学習を通じて現代日本の文化に流れている伝統と創造の力とを見出し、究極的には国民としての自覚を深めることが求められている。

(2)「内容」

文化の総合的学習に重点を置く観点から、大項目や中項目の設定に工夫を加え、中項目の精選を図っている。

大項目は、大きな時代的範囲の中での当該各時代の文化の特色あるいは動向を学習のねらいとしているほか、新たに「地域社会の歴史と文化」を大項目の一つとして加えることによって、後述の主題学習の充実とともに自主的、意欲的な学習の展開が図られており、また、中項目は、各時期の特色を示す文化的事象と社会との関連を示すものや、大項目の時代全体を通じての文化的動向と社会の動向とを関連的に示すものによって構成されている。

(3)「内容の取扱い」

ほぼ四五年指導要領の「内容の取り扱い」に対応するが、第一に、「日本史」の基本的性格が「文化の総合的学習」であることを明示し、新たに民俗学の成果の活用にも触れている。第二に、地域学習について学習指導上の留意点を詳細に示しており、「内容」の大項目の一つとしたこととあいまって、年間を通じある程度まとまった時間の地域学習に充てることを求めているものと解される。第三に、主題学習について、これを必ず実施すべきものとし、学習内容を一層精選し、標準単位数を三単位から四単位にすることにより、実施のための条件を整え、四五年指導要領より一層の充実を図っている。

(四)以上のとおり、五三年指導要領は、四五年指導要領で打ち出された方向を一層推し進め、学習内容の精選や程度・範囲の適正化を図ること、「現代社会」などの教科・科目との関連や小・中学校教育との一貫性に十分配慮すること、内容の全体にわたり「日本史」学習の基本的性格である文化の総合的学習を一層充実して行うこと、地域学習、主題学習のための工夫を行うこと等を要請している点にその特徴が存するものである。

4 右各指導要領の改正に係る教科書検定の具体的運用

(一)指導要領の改正と教科書検定の運用

文部省は、指導要領の全面的改正がない場合には、各教科書についておおむね三年ごとに新規検定、改訂検定の申請を受理するが、指導要領が全面的に改正された場合には、新指導要領に基づく教科書を確保するため、新指導要領の施行の二年前からその新規検定を実施するのを例としている。そして、新指導要領施行以後は、新規検定、改訂検定のいずれを問わず、旧指導要領に基づく検定は、もはや実施しない。このように、指導要領の全面的改正により検定基準が改まった場合には、従前使用されてきたすべての種類の教科書について新検定基準による新規検定のみを実施することは、新指導要領に合致した教科書を確保するために必要であり、指導要領の改正の趣旨、目的から当然に要請されるところである。

(二)昭和四五年の改正と教科書検定の運用

文部省は、四五年指導要領に基づく教科書を確保するため、昭和四六年度からは三五年指導要領に基づく教科書の改訂検定は行わず、四五年指導要領による新規検定のみを行っている。

昭和四五年の指導要領の改正が具体的に検定基準に及ぼす影響は、2で記述したところから明らかである。

(三)昭和五三年の改正と教科書検定の運用

文部省は、五三年指導要領に基づく教科書を確保するため、昭和五五年度からは、四五年指導要領に基づく教科書の改訂検定は行わず、五三年指導要領による新規検定のみを行うこととした(昭和五四年文部省告示一五〇号)。

昭和五三年の指導要領の改正が具体的に検定基準に及ぼす影響は、3で詳述したところから明らかである。

5 総括

以上述べたとおり、昭和四五年、同五三年の各指導要領の改正は、その基本方針を定めた教育課程審議会の答申の内容、これに基づいて必修科目及び教科・科目の構成等の教育課程全般にわたる変更がされたこと、教科・科目の「目標」、教科の「内容」、「内容の取扱い」等につきそれぞれ重要かつ多岐にわたる相違点を生じたことからみて、いずれも教科書検定における審査基準の実質的な変更を来すものであった。

四 指導要領の改正と教科書の記述の変化

1 はじめに

以下においては、上述のように指導要領の改正によって検定審査基準の実質的な変更があったことを更に明確にするため、まず、本件教科書について、三五年指導要領に基づく三九年本と四五年指導要領に基づく四八年本とを、また、四八年本と五三年指導要領に基づく五六年本とをそれぞれの編修趣意書に窺われる編集方針と教科書の具体的な記述の変化とを中心に比較し、次に、わが国において最も多く使われている代表的な高校日本史教科書で、その執筆者が前後共通しているので指導要領の改正と教科書の記述との関係を見るのに適当と考えられる山川出版発行に係る「詳説日本史」系列の教科書について、①三五年指導要領に基づく四二年詳説と五三年指導要領に基づく五七年詳説とを同様の方法により比較し(なお、必要に応じ四五年指導要領に基づく五五年詳説についても言及する。)、②同じ五三年指導要領に基づく教科書である五七年詳説と昭和六一年度検定に係る新詳説とを同様の方法により比較する。

2 本件教科書についての比較

(一)三九年本と四八年本との比較

(1)教科書編集上の変化

文部省は、検定を行うにあたって、検定の参考資料とするため、教科書発行者に対して検定申請された図書についての編修趣意書の提出を求めており、これに「内容の選択や組織・配列等について特に意を用いた点又は特色等、調査の参考としてほしい事項」についての記載を求めている。したがって、編修趣意書を見ることによって教科書の編集方針、執筆意図等を知ることができる。そこで、編修趣意書により、教科書の記述が指導要領の改正によってどのような影響を受けたかを考察する。

昭和三八年度検定申請に係る三九年本の編修趣意書と昭和四七年度検定申請に係る四八年本の編修趣意書(以下「三八年編修趣意書」、「四七年編修趣意書」という。)に「編集上の留意点」として記載されている事項は、おおむね次のとおりである。

① 三八年編修趣意書

(ア)「日本史の発展に関する基本的事項の理解を系統的に深め」、かつ「各時代の政治・経済・文化などの動向を総合的にとらえさせ」るという「日本史」の目標達成のために、日本史のあらゆる分野を見渡しつつ、特に日本史の全体的発展の大筋を明確にすることに最も重点を置いた。

(イ)「特に日本の文化が、政治や社会・経済の動きとどのような関連をもちながら形成され、発展してきたかについて考察させる」という目標を達成するために、各時代ごとに文化と政治・社会・経済の動きとの相互関係を軸とする編別構成を採用した。

(ウ)「わが国の社会と文化が、われわれの祖先の努力の集積によって発展してきたことを理解させる」ために、各時代において、日本人が社会的矛盾の解決、民衆の地位の向上、文化の創造に努力してきた事実を明らかにするよう留意した。

(エ)「史料なども利用し、史実を実証的、科学的に理解する能力を育て」るという目標を達成するため、巻末に古文献などを集め、注解を付し「史料」の頁を設けた。

(オ)「日本史の発展を常に世界的視野に立って考察させ」、また、「日本史全般にわたる歴史的発展や日本文化の特性を顧みさせ」るために、「世界史と日本史」の欄を各編のはじめと巻末に置いた。

(カ)「現代社会の歴史的背景を把握させ、民主的な社会の発展に寄与する態度とそれに必要な能力を養う」という目標を達成するため、新しい時代にも相当の分量をさいた。

(キ)「わが国の学問、思想、宗教、芸術などの文化遺産についてその理解を深め、親しみ尊重する態度を育て」るために、文化遺産の内容についてできるだけ具体的説明を加え、図版類を多くした。

(ク)家族生活その他日常生活の変遷の過程を明らかにし、歴史を身近な問題として理解できるよう工夫した。

② 四七年編修趣意書

(ア)「わが国の歴史を広い視野に立って正しく理解させ、特に日本の文化を総合的に考察させることによって、現代日本の形成の歴史的過程を把握させ、国民としての自覚を深め、民主的な国家・社会の発展に寄与する態度と能力を養う」という基本目標を達成するために、日本史のあらゆる分野をもれなく見渡しつつ、特に文化の発展を時代の背景との関係でとらえられるよう留意した。

(イ)「わが国の歴史に関する基本的事項を理解させ、歴史的思考力をつちかい、それぞれの時代のもつ歴史的意義を考察させる」という目標を達成するため、全体を原始・古代・封建・近代の四つの時代に分け、大きな時代像を明らかにし、その上に立って政治・経済・社会・文化を相互に関連づけながらとらえられるよう留意した。

(ウ)「わが国の歴史にみられる国際関係や文化交流のあらましを理解させ、世界の歴史におけるわが国の地位や文化の形成過程を考察させて、国際協調の精神を養う」という目標を達成するため、「世界史と日本史」の項を設け、特に中国・朝鮮との関係を重視しながら、日本文化の形成・発展を明らかにした。

(エ)「文化の創造、発展および伝播に関する祖先の努力や、文化の伝統について理解を深め、文化遺産に親しみこれを尊重する態度を育て、さらに新しい文化を創造し、発展させようとする意欲を高める」という目標を達成するために、文化についての記述を特に重視したのはもちろん、巻頭口絵や本文中に多くの図版を入れた。

(オ)「資料をも利用し、史実を実証的、科学的に理解する能力を育て、歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する態度を養う」という目標を達成するために、実証的、科学的な叙述に留意し、本文中に資料、図版を、巻末に資料を入れた。

(カ)すべての高校生徒が教科書として利用できるように、特に教育上の配慮をして編集した。

以上によって明らかなように、四七年編修趣意書は、特に文化の学習に重点を置いている点、大きな時代像を明らかにするよう留意している点、世界史の中での日本の位置づけを行い、殊に中国・朝鮮との関係を重視しつつ日本文化の形成・発展を明らかにしている点、実証的・科学的な叙述に留意している点などで三八年編修趣意書と相違しており、右相違点は、指導要領の改正の趣旨に沿ったものである。

(2)教科書の記述の変更の具体例

三九年本と四八年本とでは、その記述に顕著な相違が認められるが、ここでは、指導要領及び編修趣意書における主要な変更箇所のうち、文化の総合的学習及び主題学習について、その具体例をみていくこととする。

① 文化遺産に関する図版について

三九年本も四八年本もともに口絵に文化遺産に関する図版を載せているが、その取扱い及び配列は、別紙五の表に示すとおり大きく異なっている。これは、内容を精選するとともに、部門史的な美術史の学習という観点を離れ、広く総合的に文化を学習させようとする趣旨の現れであると考えられる。

また、四八年本では、三九年本で口絵に置かれていた図版五〇点のうち三九点が本文中に移され、更に五一点の図版が新たに本文中に追加されている。これによって図版と記述内容との対比が容易になり、また、多くの図版によって、生徒が文化についてより深い理解を得ることができるようになっている。

以上のような図版の取扱い及び配列における相違は、四七年編修趣意書の編集上の留意点(エ)の具体的な現れにほかならない。

② 項目の入換え

項目の入換えについてみても、三九年本と四八年本とでは大きな相違が認められる。その一部を例示すると、別紙六の表のとおりである。

右の表の整理番号1では、「天皇の出現」という項目が「大和政権」という項目に変わり、その次に新たに「古墳の発達」という項目が設けられている。これは、大和政権の勢力の発展に伴って古墳文化が各地の豪族の間に広がって行ったという同文化の動態面を理解させるための配慮と認められる。

整理番号2では、「遣唐使」の項目と「仏教興隆の政策」の項目が順序が入れ換えられている。これは、「遣唐使」と「天平時代の大陸風芸術」とを続けることにより、遣唐使によって盛んに輸入された大陸風の文化が天平時代の仏教芸術に多大の影響を与えたことを理解させるための配慮と認められる。

整理番号3では、「院政時代の文化」の項目が「平氏の政権」の項目の後に置かれ、代わって「荘園の発達」の項目が新たに設けられている。「院政時代の文化」が「平氏の政権」の後に置かれたのは、院政時代の文化を、貴族政治の衰えとともに武士が発生・台頭し、やがて政権を握るまでに至ったという大きな歴史の流れの中で適切に理解させるための配慮と認められ、また、「荘園の発達」の項目が新設されたのは、四五年指導要領の「内容」の(2)の「荘園の発達・変化、武士の発生とその中央進出に着目させる」に対応した構成上の変化であり、内容的にも、院政時代における武士と荘園と、農民と荘園との関係についての記述を書き加えるとともに知行国に関する記述を最後に移し、荘園の発達、変化の理解のために指導要領に沿った配慮がされている。

整理番号4では、「守護大名」と「生産力の発達」との間に置かれていた「応仁の乱」の項目が「北山文化」と「東山文化」との間に移されている。これは、東山文化は応仁の乱を抜きにしては語れないことから、東山文化を適切に理解させるため「東山文化」の直前に「応仁の乱」を置いたものと認められる。

整理番号5では、「自由民権運動と帝国憲法体制の成立」という主として政治について述べた中項目の中に置かれていた「教育勅語」の項目が、「明治初年の文化」という中項目の中に移されている。これは、教育勅語が当時果たした様々な機能の中から文化に与えた影響を特に重視したことによるものと認められる。

整理番号6では大幅な項目の入換えが行われ、項目の数も一四から一六に増えている。これは、四五年指導要領の「日本史」の「内容」の(6)の「第一次世界大戦から第二次世界大戦の終結に至る過程を、国際情勢の推移の中で理解させる。その際、日本の対外政策、国内の政治の動き、経済問題、社会問題などの相互の関連に着目させて取り扱う。」を受けてのことと認められると同時に、この時代の性格や推移を適切に理解させるための配慮と認められる。

以上から明らかなように、指導要領及び編修趣意書に沿った項目の入換えが行われている。

③ その他の文化の総合的学習に関連する相違点

その他の三九年本と七八年本との相違点として、二点を例示する。

まず、四八年本では、従来一点しか載せられていなかった弥生式土器の図版を三点とし(一三頁)、石包丁の使用法の想像図を加え(一四頁)、和同開珎の鋳型を加え(三九頁)、巻末の史料にも、新たに「豊臣秀吉法度」、「慶安御触書」、「世事見聞録」、「自然真営道」等々が加えられている。これは、四七年編修趣意書の編集上の留意点(オ)の趣旨を反映しているものと認められる。

また、四八年本の四頁では、岩宿での石器発掘、牛川や三ケ日での洪積世人類の骨の発見などにかなりのスペースがさかれており、五頁では先住民族についての詳しい説明が新たに載せられている。これらは、いずれも縄文文化の時代の記述を充実させる目的で書かれたものであるが、文化の総合的学習を目標とする四五年指導要領の趣旨に準拠したものと認められる。

④ 主題学習について

四八年本では新たに「研究―主題学習のために」(三四〇頁)が設けられているが、これは四五年指導要領の「内容の取り扱い」の(2)に準拠したものと認められる。

以上の具体例からも明らかなとおり、四八年本は、四五年指導要領の趣旨が十分反映されたものとなっており、多くの部分で三九年本とは異なったものとなっている。

(二)四八年本と五六年本との比較

(1)教科書編集上の変化

昭和五五年度の検定申請に係る五六年本の編修趣意書(以下「五五年編修趣意書」という。)に「編集上の留意点」として記載された主な内容は、次のとおりである。

(ア)「わが国の歴史における文化の形成と展開を広い視野に立って考察させることによって、歴史的思考力を培い、現代日本の形成の歴史的過程と自国の文化の特色を把握させて、国民としての自覚を深める」という「日本史」の「目標」を達成するために、日本の文化に重点を置きながら、あらゆる分野を広く見渡すことを基本として編集した。

(イ)「その時代の文化の性格とそれを形成した様々の要因について、多角的、総合的に考察させる」という「内容の取扱い」の(1)の趣旨を効果的に実現させるために、日本史全体を四つの時代に分け、大きな時代像を明らかにし、その中で「文化とそれを生み出した時代的背景」(「内容の取扱い」の(1))を学習できるように留意した。

(ウ)「わが国の歴史における文化の形成と展開を、広い視野に立って考察させ」(「日本史」の「目標」)、あるいは「異質文化との接触や交流による文化の変容の過程などに着目させ」(「内容の取扱い」の(1))るために、「世界史と日本史」の項を設け、世界史の中での日本の位置づけを行い、特に中国・朝鮮と近代日本との関係を重視しつつ日本文化の形成・発展を明らかにするよう努めた。

(エ)「文化の総合的学習という『日本史』の基本的性格に留意し」(「内容の取扱い」の(1))、文化についての記述を特に重視したのはもちろん、巻頭口絵や本文中に多くの図版を入れて文化の具体的内容を学習できるように配慮した。

(オ)憲法の掲げる平和主義や指導要領の「核兵器の脅威に着目させ、戦争を防止し、民主的で平和な国際社会を実現することが重要な課題であることを認識させるものとする」(「内容の取扱い」の(2))と同一の精神に立ち、戦争の惨禍とそれを招いた歴史的要因については充実した記述をするよう努めた。

(カ)「生活文化の取扱いに当っては、民俗学などの成果を活用して、その具体的な様相を把握させる」(「内容の取扱い」の(1))ことに努めた。

(キ)地域学習に役立つように、特にそのサンプルとして「民衆のくらし」という囲み記事の欄を各時代ごとに設け、横浜周辺地域の歴史を具体的に紹介した。

(ク)「生徒の歴史的思考力を一層深めるため」(「内容の取扱い」の(4))、「研究問題」を主題の配当に留意して設けたほか、「日本史の研究方法」の欄を別に設け、生徒の自主的研究の方法を示した。

右のような編修趣意書の記載から、五六年本は昭和五三年の指導要領改正の趣旨を十分反映して編集されたものであることが明らかである。

(2)教科書記述の変化の具体例

以下においては、四八年本と五六年本とを比較して、その特徴的な具体例をみていくこととする。

① 文化に関する図版や囲み記事について

五六年本の口絵には、新たに日本人の生活風俗などの変遷が理解できるような図版が加えられている。また、五六年本では、本文の中に図版や資料とは別に囲み記事が一九箇所設けられ(そのうち四八年本と重複するものは一一箇所)、これらは五五年編修趣意書の「文化の具体的内容をできるだけ明確に学習できるよう配慮」するという趣旨の具体化とみることができる。

② 「文化の総合的学習」について、項目の入換えがされているもの等を検討する。

五六年本の第七章とそれに対応する四八年本の章節とにつき、それぞれ全項目名を列挙すると、別紙七のとおりである。

五六年本の第七章第一節(以下「五六―七―一節」と表記する。その他もこれに準ずる。)は、四八―七―一節と項目名はすべて同じであるが、内容的には、「キリスト教の伝来」の項目は本文記述が精選され、かつ、次節の「信長の統一事業」及び「秀吉の外交と朝鮮出兵」の項目で、これらに関連づけて両者のキリスト教への対応が記述されている。

五六―七―二節は、節名は同じであるが、四八―七―二節では信長、秀吉の「統一事業」や「経済政策」を事項ごとに記述する構成になっていたのを、時代の進展に応じて記述する項目立てとし、「信長の統一事業」の中で一向一揆の制圧、楽市・楽座の令などの経済政策、キリスト教への対応などを書き加えることにより、信長の統一事業が総合的に理解できるよう記述されている。「秀吉の統一事業」に関しても同様の配慮がされており、「秀吉の外交と朝鮮出兵」の項目では朝鮮出兵が国の内外に及ぼした影響が書き加えられている。

五六―七―三節及び四節は、四八―八―一節及び二節に対応すると考えられるが、その項目立ては大きく変更されている。すなわち、四八年本ではそれぞれの項目ごとに政治、社会、外交、経済等が記述されているのに対し、五六年本では、この時代全体を寛永期と元禄期とに分け、それぞれの時期ごとにその政治的、社会的、経済的、文化的事象を取り扱っている。また、文化的事象の取扱いについては、新たに「寛永期の文化」及び「元禄文化」の項目が設けられ、その時代の特色や流れと関連づけて各時期の文化の動向、特色を叙述し、更に個々の分野を記述するにあたっては、他の時代との関連や他の項目との関連に気づかせるような工夫がされ、内容、項目の精選やあらゆる分野を広く見渡す配慮がされている。

更に、五六年本で新たな項目として「対馬・琉球・蝦夷地の事情」が設けられているのは、「文化の形成と発展を、広い視野に立って考察させる」(指導要領の「日本史」の「日標」)ことや「異質文化との接触や交流による文化の変容の過程に着目させ」る(指導要領の「日本史」の「内容の取扱い」の(1))ことに配慮したものと理解される。

以上のような項目の入換えは、五五年編修趣意書を反映しており、昭和五三年指導要領の内容にも沿っている。

③ 地域学習については、五六年本には囲み記事「民衆のくらし」が八箇所設けられている。右囲み記事は昭和五二年の改訂検定の際に採り入れられたものであるにせよ、五六年本で一層の充実が図られており、いずれにせよ五三年指導要領の趣旨に沿う記述である。

④ 「主題学習」についても、五六年本には「研究問題―主題学習のために―」及び「日本史の研究方法」が設けられており、右は、五三年指導要領の「内容の取扱い」の(4)に沿ったものである。右「研究問題―主題学習のために―」が四八年本から、「日本史の研究方法」が昭和五二年の改訂検定に係る教科書から採り入れられたものであるにせよ、右各記述自体が指導要領の趣旨に沿ったものであることは、五五年編修趣意書の記載によって明らかである。

3 山川出版「詳説日本史」についての比較

(一)四二年詳説と五七年詳説との比較

(1)教科書編集上の変化

五三年指導要領に基づく五七年詳説の編修趣意書には、「編修上の配慮事項」として、おおむね次のように記載されている。

Ⅰ 基本的な特色

① 指導要領の趣旨に従い、歴史の流れを総合的に把握できるように考えて編集した。

② 政治・経済・社会的事象の取扱いにあたっては、文化の総合的学習という基本的性格に留意し、文化的事象との関連に重点を置くとともに、事項の精選に注意を払った。

③ 地域史や民俗学の成果などを通して自らの生活と結び付いた学習ができるように配慮した。

④ 公正な立場から正確に叙述すること、学界の新しい研究成果を盛り込むことに留意した。

Ⅱ 構成及び内容について

① 全体を原始・古代、中世、近世・現代の四部構成とし、大まかな時代区分の設定のもとに時代の推移、発展が明確にとらえられるように配慮した。また、各部の章・節の構成にあたっては、それぞれの時代の特質を把握しやすくするとともに、内容・分量・区分につき実際の授業の便宜を考慮した。

② 日本史を世界史的視野に立って考察し、特に文化の流れを明確にするために、各部の初めに「○○文化の流れ」という項を置き、世界史の動きと関連させながら日本文化の流れを概説することとした。

③ 文化の総合的学習という観点から、各章の初めに「時代と文化」の項を設け、時代像を印象的にとらえることができるように配慮した。また、それぞれの時代に関する具体的な史実や論点を解説注に掲げ、時代全体の理解に役立てるようにした。

④ 主題学習については、「みずからの学習のために」の項で取り上げ方を示すとともに、歴史の展開にとって注目すべき事項や、地域学習を積極的に進める一助として、解説注、研究問題を設けた。

⑤ 生徒が興味をもって主体的に学習できるように次の点を考慮して編集した。

ⅰ 巻頭口絵は、本文と関連があり、かつ色彩効果のあるものを選んだ。

ⅱ 図版・史料・整理表などは、生徒に興味をもたせて自主的に学ばせるのに効果のあるもの、また、本文の理解に役立つものという視点から、数多く挿入し、必要な解説を付けた。

ⅲ 本文の叙述を補足するため、各頁に注の欄を設けた。

ⅳ 各章の末尾に研究問題を置き、自主的学習、地域学習に資することを目指した。

ⅴ 関連がある他の部分の記述を参照した方が理解しやすいものについては、参照頁を示した。

以上によれば、五七年詳説は、文化の総合的学習、地域学習、主題学習という昭和五三年の指導要領の改正の趣旨の主要な点を十分反映して編集されたものであることが判る。

(2)教科書記述の変化の具体例

以下においては、五七年詳説と三五年指導要領に基づく検定を経た四二年詳説とを比較し、必要に応じて四五年指導要領に基づく検定を経た五五年詳説とも比較する。

① 「文化の総合的学習」について

(ア)各部の冒頭の頁をみると、四二年詳説では簡単に時代を概説しているだけであるのに対し、五五年詳説では、「世界の動き」及び「日本の歩み」として政治史とともに文化についても記述され、更に五七年詳説では各部の最初の頁の「○○文化の流れ」の項で、各時代の文化の流れについて政治、経済、社会の動きと関連づけながら概説し、文化の総合的学習の方向を示している。

(イ)五七年詳説では、新たに各章の初めに「時代と文化」という項を設けて各時代の文化を象徴するようなトピックを取り上げ、各時代を理解させる手がかりとしている。

(ウ)五七年詳説では新たに「解説注」が一八箇所記述されており、これは文化の総合的学習にも資するものとして用意されたものである。

(エ)そのほか、五七年詳説では、本文の記述中にも、文化自体又は文化を中心とした歴史学習に役立つような記述が随所に見られる。

② 「地域学習」について

五七年詳説の巻頭には「みずからの学習のために」と題する項目があるが、その中の「地域史学習について」という部分で、地域学習の目的などについての説明があり、また、各部の末尾に置いた研究問題で、特に「地域社会の歴史と文化」という見出しを立て、三又は四個の設問が用意されている。更に、「解説注」の中にも地域学習に資するものが設けられており、かつ、それらと関連づけた研究問題も設定されている。五五年詳説でも、研究問題等で地域学習にある程度の配慮はされているが、五七年詳説では一層の充実が図られており、四二年詳説ではこのような観点からの記述がみられないのと大きな差異がある。

③ 「主題学習」について

五七年詳説では、前記「みずからの学習のために」の項の中に「主題学習について」という部分があって、主題学習の目的や主題設定の観点などを示すとともに、この学習に資するため各部ごとに研究問題を設定している。これに対して、四二年詳説に設けられている「学習問題」は、必ずしも主題学習に資するものではない。

以上指摘した例から明らかなように、五七年詳説の記述には昭和五三年の指導要領改正の影響が明らかであり、四二年詳説とは大きな相違が見受けられた。

(二)五七年詳説と新詳説との比較

五三年指導要領に基づいて新規検定を受けた「詳説日本史」系列の教科書としては、五七年詳説のほかに昭和六一年度に新規検定を経た新詳説がある。以下、両者を比較して、指導要領との関係においてその編集方針や記述に差がないことを明らかにする。

(1)教科書編集上の比較

右両教科書の編修趣意書を比較すると、「基本的な特色」の部分の記載内容は全く変化はなく、「構成および内容について」の部分のうち、②、③のみが相違している。新詳説の右部分は、おおむね次のとおりである。

② 世界史を学習していない生徒もいることを考慮し、各部の初めに「概観」を置いて、世界史の動きと関連させながら日本史の流れが理解できるよう配慮している。

③ 叙述にあたっては、各時代の政治・経済・文化史などの流れを把握しやすくするとともに、文化の総合的学習という観点から、同時代的叙述を加えて、時代像を印象的にとらえることができるよう配慮している。また、必要に応じて興味深い史実や論点を「解説注」とし、歴史への関心の喚起を図っている。

右②、③を五七年詳説の編修趣意書の②、③と比較してみると、両者はいずれも五三年指導要領の趣旨に沿ったものであり、その点からいえば本質的な差はないことが明らかである。

(2)教科書記述の具体例の比較

第一に、「文化の総合的学習」についてみる。例を室町時代の文化にとって比較すると、「第三節 室町文化」の中で、五七年詳説では「北山文化」、「東山文化」を小項目として独立させ、それぞれの文化の特徴やその内容をまとめて記述し、その特徴などについての理解を深めるように配慮されているのに対し、新詳説では「北山文化」、「東山文化」に加えて「南北朝文化」という小項目を新たに加え、それぞれの文化の特徴などについて記述しているばかりでなく、この三つの小項目の前に「室町文化」という小項目を置いて前記の三つの文化についてその総括的な特徴や文化を形成した要因などの説明を加え、理解を一層深めるよう工夫されているが、いずれも文化の総合的学習という基本的な観点に立つ叙述であることに変わりはない。五七年詳説にあった各部の初めの「○○文化の流れ」及び各章の初めの「時代と文化」の項が新詳説ではなくなったが、中世と室町時代という範囲の差こそあれ、各時代区分における文化の大きな流れ、特徴を概説する部分を設けるという記述方法の基本に変わりはない。

第二に、地域学習についてみると、「地域史学習について」という説明部分が「主題学習について」の部分とは別個に置かれていること(この点は五五年詳説と相違する。)、研究問題に関しても、各章関連の問題とは別個に「地域社会の歴史と文化」と題した問題群を設けていることは、五七年詳説と新詳説に共通しており、これらは五三年指導要領において地域学習が「内容」の大項目として採り入れられたことに即した記述である。

第三に、「主題学習」についてみると、五五年詳説の挙げている学習主題は四五年指導要領の主題学習に関する部分の例示に対応しており、他方、五三年詳説及び新詳説の挙げている学習主題は五三年指導要領の主題学習に関する部分の例示に対応している。

以上のとおり、五六年詳説及び新詳説の編集方針及び記述は、いずれも五三年指導要領の趣旨に沿ったものである。

五 結語

1 以上詳述したとおり、昭和四五年及び昭和五三年の指導要領の改正の内容は、全面的かつ抜本的なものであり、これに伴って検定における審査基準も全面的に変更されたことは、その教科書の記述に与えた影響からも明らかであって、右審査基準の変更を微小なものということはできない。したがって、改めて新検定基準による新規検定を受けた教科書でなければ、新指導要領に即応した教育活動の基本とすることができないものというべきであって、旧検定基準のもとでの検定を経た教科書をそのまま、あるいは改訂検定を経たのみで使用させることは、教科書検定の趣旨、目的に反することとなる。

2 指導要領の改正が教科書の記述に及ぼすべき影響の内容・程度の検討にあたっては、一般に、旧検定基準のもとで検定に合格した教科書を、そのまま、あるいは改訂検定による部分改訂のみを経て使用させても、教科書検定の趣旨、目的に反せず、また、教科書の整合性、一貫性を損なうことがないかどうかという観点から検討されるべきで、単に新旧検定基準による検定を経た教科書の記述内容の変動を数量的に比較検討するにとどまるべきではない。すなわち、仮に数量的に両者の記述に大差がなかったとしても、それは検定の結果がたまたまそうであったというだけであり、直ちに新検定基準による検定を経なければならない実質的必要性が乏しいことにはならない。検定審査基準の実質的変更の有無は、指導要領の改正の趣旨、目的、内容及び程度、実際の教科書の記述に及ぼすべき影響の内容及び程度、教科書検定制度の趣旨・目的に照らして新規検定を経させるべき実質的必要性の存否等を機能的、総合的に考量して判断すべきである。

3 被控訴人は、旧指導要領が失効し、新指導要領が適用されるようになったにもかかわらず、旧指導要領に基づく検定を受けた教科書が使用された例として、昭和五六年度における中学校社会科教科書の例と、昭和五一年度以降における高校の職業教科の教科書の例を指摘し、これを根拠に、教科書ないし検定審査と指導要領との関係は間接的なものであると主張するが、以下に述べるとおり失当である。

すなわち、職業教科に関する事例については、同教科については指導要領の「内容」、「内容の取扱い」、標準単位数の定めも弾力的で、各学校の教育課程は極めて多様である一方、一科目当たりの教科書の需要数が少ないため、新指導要領に基づく教科書が未発行だったり、発行されてもその種類が実際の多様な教育課程ないし教育内容に対応するには十分でないというような格別の事情が存在することがあり、このような教科の特殊事情から、旧指導要領に基づく検定を経た教科書を使用するという例外的な事態を生じたものであって、これを一般化することはできない。

また、昭和五六年度の中学校社会科教科書については、本来なら同年度には新指導要領が全面的に適用されることになっていたが、旧指導要領によれば、中学校社会科の地理的分野と歴史的分野とは一、二学年を通じて並行して学習させるのを原則とし、更にこれに対する例外も許容されていたため、昭和五六年度の二学年の生徒の中には既に一学年で旧指導要領に基づき地理的、歴史的分野の教科書を並行して使用している者もあった。そこで、学習の一貫性の要請と、教科書無償供与制度上の予算的制約とから、既に使用していた旧指導要領による教科書の使用を継続し、教師が新指導要領の趣旨に立脚して教授する、という方法が採られたものであり、過渡的、便宜的な措置にすぎない。

4 以上のとおり、本件において、上告審判決が指摘するような、「旧審査基準のもとで検定を経た教科書を、そのまま、又は改訂検定を経て部分改訂したうえで使用させても、教科書検定の趣旨、目的に反せず、その一貫性、整合性を損なうこともなく、諸般の事情からみてそれが最も合理的である」と認められるような例外的事情は存しないから、本訴は訴えの利益を欠くものである。

なお、被控訴人自身、昭和四五年の指導要領改正後は三五年指導要領に基づく本件教科書を絶版とし、その後新指導要領に基づく新教科書を著作発行しているのであって、右旧教科書を今後高校用教科書として出版することを断念しているから、この点からいっても、本件訴訟における訴えの利益は失われたというべきである。

第二  訴えの付随的利益について

被控訴人は、本件不合格処分に係る図書が副教材等として採択・使用されうる法的状態を回復することを訴えの付随的利益として主張するが、右主張は、次の理由により失当である。

一 学校教育法二一条二項、同施行規則七三条の一二第二項は、国民に権利ないし法的利益を保障する趣旨の規定ではなく、行政機関の権限を定めたものであって、執筆者、出版者はこれらの規定による反射的利益を受けるにすぎない。

二 教科書検定は、あくまでも主教材たる教科書としての適格性を判断するにとどまり、副教材等としての使用可能性に影響を及ぼすものではない。副教材等としての有益適切性の判断は、特定の地域、学校、児童・生徒の実態に応じて判断しうる点等において、教科書としての適格性の判断とは内容を異にするものである。

三 教科書の検定で不合格となった図書を教科書以外の教材として使用することを禁じた昭和二三年八月二四日の文部省教科書局長通達は、検定不合格図書を副教材の名目で実質的には教科書として使用しようとする脱法行為を防止することを意図して出された指導通達であって、被控訴人の主張するように法律上当然に使用禁止の効果が生ずることを確認したものではない。地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条六号、三三条二項によれば、副教材の使用について決定権を有するのは、所管の教育委員会ないしは学校長であり、これについて届出制又は承認制を採用することが予定されているのであって、前記通達は文部省の一般的な指導助言権限に基づく指導たる性質を有するにすぎない。

〔証拠〕〈省略〉

理由

第一訴えの本来的利益について

一本件における訴えの本来的利益の問題

1  上告審判決

本件は、被控訴人が、その著作に係り、既に控訴人の検定を経た本件教科書の部分改訂のため改訂検定を申請したのに対し、控訴人が申請に係る改訂箇所のうち六箇所につき不合格とする処分(本件不合格処分)をしたので、これに対して被控訴人が右処分の取消を求める訴訟であるところ、上告審判決は、要旨次のように判示して、本件を当裁判所に差し戻した。

① 本件のような訴訟における訴えの利益は、検定に合格することにより被控訴人の所期する内容の著作が教科書として出版され、採択されることとなる可能性を有していたのに、違法な不合格処分によってその可能性が失われたので、そのような可能性を回復するという点に存すると認められる。

② したがって、なんらかの理由によって既に検定合格の処分をすることができなくなり、前記の可能性が失われた場合には、訴えの利益も失われる。

③ 指導要領は教科書検定における審査基準の実質的内容とされており、本件における部分改訂についての検定申請に係る教科書は、さきに三五年指導要領のもとでの検定に合格したものであるところ、その後右指導要領は昭和四五年に全面的に改正され、右改正前の指導要領は完全に失効し、これに代わって四五年指導要領が実施されるに至っている。

④ 改訂検定の制度は、検定を経た教科書の一部を改訂する場合に、改訂の範囲が比較的小部分にとどまるものについて、無益な審査の重復を省略し、改訂を加えようとする箇所のみについて検定を実施することとしたものであるから、改訂しようとする検定済み教科書の検定当時の審査基準と改訂検定当時のそれとが同一であることを前提とするものであり、その間に審査基準の変更があった場合には、原則として、改訂検定は許されず、改めて右改訂部分を含む全体について新しい審査基準による新規検定を受けなければならない。けだし、このような場合にも改訂検定が許されるとすれば、一体としての教科書の一部分は新審査基準による検定を経たもの、他の部分は旧審査基準による検定を経たものとなって、検定済み教科書としての統一性を欠き、かつ、その性格の不明確なものを生ぜしめるからである。

⑤ しかしながら、指導要領の変動が微小であって、審査基準の実質的な変更が少ないような場合には、旧審査基準のもとで検定を経た教科書をそのまま使用させ、あるいはこれにつき新審査基準による部分改訂を経たものを使用させることとしても、必ずしも教科書検定の趣旨、目的に反せず、教科書の整合性、一貫性を損なうこともなく、諸般の事情からみてそれが最も合理的と認められる場合も想定されないのではなく、右のような場合には例外的に新審査基準による改訂検定が許されるとの解釈が可能であり、かつ、本件の場合がこれに当たることが肯定されるとすれば、被控訴人はなお訴えの利益を失わないものということができる。

⑥ 果して右のような解釈が可能かどうか、また、本件の場合がこれに当たるかどうかにつき的確な判断をするためには、更に改訂検定制度と審査基準の変更との関係についての検定審査の運用面からの考察を含むより具体的な究明と、本件指導要領の改正が本件教科書の記述に及ぼすべき影響の内容及び程度等についての検討を必要とする。

2  昭和五三年の指導要領の改正と訴えの利益

高校の指導要領が、右上告審判決の判示にあるとおり昭和四五年に全面的に改正されたのち、更に昭和五三年に全面的改正を経たことは当事者間に争いがなく、当審証人奥田真丈の証言によれば、昭和六〇年四月までには右改正に係る指導要領に基づく教育課程が全面的に実施されるに至ったことが認められる。右昭和五三年の改正により、従前の指導要領のもとで検定に合格した教科書につき改訂検定を申請した場合には、五三年指導要領に基づく審査基準による審査が行われなければならないことになり、右上告審判決の示した前記のような判断基準に照らして、右のような改訂検定が許されるかどうかが問われることとなった。したがって、当審においては、右上告審判決の判示の⑥で指摘された点を、本件改訂検定申請に係る検定済み教科書について、それが検定を経た当時効力を有した三五年指導要領と現行の五三年指導要領との間で検討し、被控訴人がなお訴えの利益を有するか否かを判断すべきことになる。

3  被控訴人の出版意思と訴えの利益

なお、控訴人は、被控訴人が三五年指導要領に基づく本件教科書(三九年本)を絶版とし、これに代えて昭和四五年以後の指導要領のもとで新規検定を経た教科書を著作発行しているので、被控訴人の訴えの利益は失われた旨主張するところ、被控訴人が四五年指導要領のもとで四八年本を、五三年指導要領のもとで五六年本をそれぞれ検定を経て著作発行していることは当事者間に争いがなく、右事実によれば、仮に本件不合格処分が取り消され、改訂検定により三九年本の改訂版の発行が可能となったとしても、被控訴人がこれを教科書として出版するかどうか疑問がないわけではない。しかし、事実上はともかく、法的には、改訂後の新指導要領による新版教科書の発行によって旧指導要領による旧版教科書の発行が妨げられるものではなく、被控訴人が本件訴訟を維持していることは右改訂版の出版意思の表明であると解せられ、当審における被控訴人本人尋問の結果によっても、その旨の意思を有することが窺われる。そうである以上、事実上出版の可能性が薄いことが直ちに訴えの利益を左右するものとはいい難いから、控訴人の右主張は採用することができない。

二指導要領の改正と改訂検定

1  教科書検定と指導要領

学校教育法四三条、一〇六条によれば、高校の学科及び教科に関する事項は文部大臣が定めるものとされており、これに基づいて、同法施行規則五七条は、高校の教育課程を同規則別表第三の教科、科目及び特別活動によって編成すべきことを、同規則五七条の二は、教育課程の基準として文部大臣が公示する高等学校学習指導要領によるべきことを定めている。〈証拠〉によれば、右にいう教育課程とは、学校教育の目標を達成するために、授業時数や単位数との関連において教育の内容を総合的に組織した学校の教育計画をいうものと認められる。

他方、同法二一条一項は、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」と定め、この規定は、同法四〇条、五一条、七六条で高校等に準用されている。これら規定と文部省設置法六条一項二号とに基づき、文部大臣は、高校等の教科書の検定を行う権限を有するが、その検定の基準については、学校教育法八八条、一〇六条一項の規定に基づいて定められた検定規則三条により、文部大臣が別に公示する検定基準の定めるところによるものとされており、〈証拠〉によれば、高校用教科書については現在高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示一三四号)が定められていることが認められる。

教科書は、高校等の教科の主たる教材として教授の用に供され、その内容は教科課程の構成に応じて組織配列されている児童・生徒用図書(教科書の発行に関する臨時措置法二条一項)であり、指導要領は、教科、科目及び特別活動によって編成される教育過程の基準を定めるものであるから、両者はその基本的内容を同じくすべきものであり、検定基準は、指導要領をその実質的内容として取り込むことによって、教科書の指導要領への適合性が確保されるようにしている。すなわち、前記のとおり高校の教育課程は学校教育法施行規則別表第三に定める各教科に属する科目及び特別活動によって編成され、右教科の一つとして社会科があり、社会科に属する科目の一つとして「日本史」があるところ、〈証拠〉によれば、指導要領の各教科、科目に関する部分は、まず教科についてその「目標」を掲げ、次に各科目については「目標」、「内容」、「内容の取り扱い」(ただし五三年指導要領における名称。これに相当する部分は、三五年指導要領では「指導計画作成および指導上の留意事項」であり、四五年指導要領では「内容の取り扱い」であった。以下右各指導要領を通じて「内容の取り扱い」と称することとする。)の三つの部分から構成されていることが認められる。一方、〈証拠〉によれば、(一) 検定基準は、すべての教科に共通な数項目の基本条件(ただし現行の高校用教科書の検定基準における用語。それ以前の検定基準では「絶対条件」と呼ばれていたものであるが、以下各時期の検定基準を通じて「基本条件」と称することとする。)と、各科目別に定められた必要条件とから成っていること、(二) 三五年指導要領の実施に伴って適用されることとなった昭和三三年文部省告示八六号の検定基準では、基本条件として指導要領の定める当該教科の目標との一致が、社会科(「地図」を除く。以下必要条件に関しては同様。)の必要条件として、①取り扱う内容が指導要領に定められた当該科目又は当該学年の内容によっていること、②内容として指導要領の示す教科の目標及び科目又は学年の目標の達成に適切なものが選ばれていることが掲げられていること、(三)四五年指導要領の実施に伴って適用されることとなった昭和四三年文部省告示二八九号の検定基準では、基本条件として前記と同趣旨が、社会科の必要条件として①取り扱う内容が指導要領に示す目標、内容等によっていること、②全体の分量が指導要領に示す標準単位数に対応する授業時数で無理なく指導できるものがあること、③指導要領に示す目標を達成する上において適切な創意工夫が認められることが掲げられていること、(四)現行の高校用教科書の検定基準(昭和五四年文部省告示一三四号。その総則、基本条件及び社会科に関する部分は別紙八のとおりである。)では、基本条件として前記と同趣旨が、社会科の必要条件として、①教科書で取り扱う範囲が指導要領に示された目標及び内容によっていること、②全体の分量は、指導要領に示された標準単位数に対応する授業時数で、ゆとりをもって指導できるものであること、③指導要領に定めた目標を達成する上で、教科書として適切な創意工夫が認められることが掲げられていることが認められる。更に、後述のとおり、昭和五四年七月に定められた高校用教科書の検定基準実施細則は、指導要領中の「日本史」の「内容の取扱い」の(1)、(2)及び(4)を検定の基準としており、これらの点において指導要領は直接に検定基準の内容として援用されている。そのほか、〈証拠〉によれば、前記昭和三三年の検定基準の必要条件中では組織・配列・分量について、前記昭和四三年の検定基準及び現行の検定基準の必要条件中では、内容の選択・扱い及び組織・配列・分量について、それぞれ学習指導を進める上からみて適切あるいは有効であることを要請していることが認められるから、これらの点においても、教育課程の基準たる指導要領の基本的な趣旨は、検定基準の実質的な内容を成しているものとみることができる。

2  指導要領の改正と教科書検定

教科書検定には、新たに編集された図書又は検定を経たのちに改訂を加えて改訂箇所が頁数の四分の一以上にわたる図書につき、その全体について行われる新規検定(検定規則四条二項、六条三項ただし書)と、検定を経たのちに改訂を加えて改訂箇所が頁数の四分の一に満たない図書につき、改訂箇所ごとに行われる改訂検定(同規則四条三項、六条三項本文)とがある。

前記のとおり、教科書は教科の主たる教材となるものであるから、その内容は教育課程の基準たる指導要領に適合したものであるべきであり、これらの点を審査するために検定が行われるものであるから、指導要領が全面的に改正された場合には、教科書も、改めて新しい指導要領に依拠した検定基準により、その全体についての検定(新規検定)を受けたものを使用するのが制度の本来の建前であるというべきである。もっとも、現行法上は、いったん検定に合格した教科書は、その後検定当時の検定基準が改正されても、それによって当然に教科書としての適格性を失うものとはされておらず、教師がこのような教科書を使用しつつ改正後の指導要領に適合するような内容の授業を行うことも可能ではあるが、教科書の性質からいって、このような事態は法の本来予定するところからいえば異例であるといわなければならない。そして、〈証拠〉によれば、実際上も、指導要領の全面的改正が行われた場合には、従前使用されてきた各種教科書について、改めて新規検定が申請されるのが通例であり、かつ、指導要領のもとで検定を経た教科書を使用するよう行政指導がされていることが認められる。

もっとも、〈証拠〉によれば、昭和五六年の中学校社会科教科書(第三学年用)、昭和五一年以後の高校の農業、工業、商業等の職業教科の教科書については、指導要領が改正され、旧指導要領が全面的に失効したのちに、旧指導要領下で検定を経た教科書が支給ないし採択、使用されている例があり、そのほかにも少数ながら旧指導要領下で検定を経た教科書が新指導要領下で使用されている事例があることが認められるが、弁論の全趣旨によれば、右のうち中学校の教科書に関する事実は、旧指導要領下で第一学年の教育課程を修了した二年生の使用する教科書について、教育課程の一貫性を保つ必要と教科書無償供与制度に伴う予算上の制約とから生じた過渡的現象であり、また、職業教科の教科書に関する事実は、これら教科にはそれぞれ多数の科目が含まれており(学校教育法施行規則別表第三参照)、これに対応してこれら教科について発行される教科書の種目もおびただしい数にのぼり(検定規則六条四項、教科用図書検定受理種目(昭和五二年文部省告示一九九号)参照)、その結果、一科目あたりの教科書の需要数が少ないこと(なお、これらの教科の教科書の総数については〈証拠〉参照)などの教科の特殊性から、新指導要領のもとで検定を経た教科書を使用することが実際上困難であったことや、これらの教科に関する指導要領の定めが概して簡潔で弾力に富むものであり、旧指導要領下の検定を経た教科書を使用しても学習上著しい不都合を生じなかったことによるものと認められ、そのほかの事例も、前記のような指導要領の改正と教科書の検定との一般的関係を否定するに足りるものとはいい難いから、右のような事例があることは、上記の判断を左右するに足りない。

以上によれば、指導要領の全面的改正が行われた場合には、原則として新指導要領に基づく新規検定を受けた教科書を使用して授業を行うことが法の趣旨に沿うゆえんであり、指導要領の全面的改正にもかかわらず旧指導要領下で検定を経た教科書の使用の継続が是認されるのは、指導要領の改正による変動が微小であって、審査基準の実質的変更が少なく、旧指導要領下で検定を経た教科書を引き続き使用しつつ授業を行っても指導要領の改正の趣旨が没却されるおそれがほとんどないような場合、あるいは、教科・科目の特殊性や現実の教科書の発行状況等の事情に照らし、旧指導要領の下で検定を経た教科書を引き続き使用させることがやむを得ないと認められるような場合に限られるものというべきである。

3  指導要領の改正後に改訂検定が許されるための要件

次に、指導要領の改正後に旧指導要領下で検定を経た教科書について改訂検定を受けることができるかどうかについて考えるに、検定の対象となるのは一体を成す図書の全体であるから、いったん検定を経た教科書について部分的改訂を行う場合にも、本来からいえば新規検定を経ることが必要であるが、改訂検定は、当該図書が既に検定を経ていることを前提として、検定の労力を省くためにその対象を改訂部分に限定して行われるものであって、審査対象の範囲の面においてのみ新規検定の便法を定めたものであり、いわば縮小された新規検定にすぎない。したがって、改訂検定は、その前提とされている、当該図書について既に検定を経ているという事実が、改訂部分以外の部分についての新たな審査を不要ならしめるに足りるものと評価できる場合に、初めて可能となるのである。そうすると、前項で述べたとおり、指導要領の全面的改正があったのちにおいては、旧指導要領下で検定を経た教科書を引き続き使用することが法制の建前に背馳しないと認められる場合が限定される以上、右限定された場合に当たらず、本来当該教科書を引き続き使用するのが法制上好ましくないような場合について、当局がその改訂に協力すべきものとは考えられないから、当該改訂の内容そのものが指導要領の改正の方向に沿うものであると否とにかかわりなく、右限定された場合に該当しない限り、旧指導要領下で検定を経た教科書について改訂検定を受けることはできないものといわなければならない。

また、検定は、前記のような検定の目的からいって、検定が行なわれる時の検定基準に基づいて行われるべきものであり(改訂検定の場合も例外でないことは、上告審判決の指摘するところである。)、指導要領の改正後は、新規検定はもちろん改訂検定も、新しい指導要領に基づく検定基準によることになるが、その結果、改正前の指導要領のもとで検定を経た教科書について改正後に改訂検定を行うことができるとすれば、上告審判決が指摘するように、ひとつの教科書の中に、旧指導要領に基づく検定を受けた部分と新指導要領に基づく検定を受けた部分とが混在することにならざるをえず、一般的には教科書としての統一性ないし一貫性を欠く事態を生ずるおそれがある。

以上によれば、指導要領の改正があった場合に改正前に検定を経た教科書について改訂検定を受けることができるのは、改正による指導要領の変動が微小であって、審査基準の実質的変更が少なく、改正前に検定を経た教科書を新指導要領下でほぼそのまま使用することができるため、新指導要領に基づく部分改訂を行っても、新指導要領の実施上支障を生ずるおそれがなく、したがって、改訂した部分と改訂しない部分との間に内容上の不統一を生ずるおそれのないことが明らかである場合、あるいは、指導要領の改正があり、その変更の程度が上記の場合より若干大きくても、同一科目についての教科書の発行状況等からいって、改正前の指導要領による検定を経た教科書を部分的に改訂し、引き続き新指導要領下で使用する必要があり、これに国が協力することが合理的であると認められる場合に限られるものというべきである。

当審証人所功の証言によれば、これまで指導要領の改正前に検定を経た教科書について改正後に改訂検定が申請されたことはないことが認められ、このことも右のような解釈を裏書きするものというべきである。

この点について被控訴人は、歴史教育の科学性からいって、教科書の記述と指導要領の改正との関わり合いはなく、指導要領の全面的改正があっても教科書の全面的改訂がされるべきではないと主張する。もとより、歴史教育、殊に高校以下のいわゆる初等、中等教育の段階での歴史教育については、その目的からして内容の基本的部分がおのずから定まるという面がないではなく、また、その内容が科学的、客観的なものでなければならないことも、一般論として異論のないところであろう。しかし、その反面において、無限ともいうべき過去の事象を対象として行う歴史認識はなんらかの価値観と無縁のものではありえないことにも留意しなければならないのみならず、高校以下の段階での教育においては、児童・生徒の発達段階に応じ、具体的な教育内容の選択が適正でバランスのとれたものであるかどうかの問題が重要であり、科学的研究に基づく事柄でありさえすれば、右の点について考慮を払うことなく教えてよいということにはならない。したがって、高校の歴史教育の内容が指導要領の改正によって全く一変してしまうようなことはもとより考え難いが、歴史教育が自然科学などと同程度に本来の意味での科学性、客観性を保障された教育部門であるということはできず、前記主張は、指導要領の改正が、検定基準ないし教科書記述に影響を与え、その結果前記のような改訂検定を行う妨げになるようなものでありえないとする論拠として、十分なものとはいえない。

また、被控訴人は、教科書の改訂は、学説の発展の吸収以外には、教育的配慮に依拠する執筆者の意思に基づいてのみされるべきものであって、指導要領の改正に基づいてされるべきではないと主張し、当審において被控訴人は、専ら被控訴人自身の教育的配慮あるいは教育現場の意見等によって本件教科書の改訂を行っている旨供述するが、改訂の動機が教育的配慮にあるということが、直ちに、当該改訂が指導要領と関わりのないものであることを意味するものとはいえない。むしろ、教科書改訂の正当な動機として教育的配慮を挙げるのであれば、指導要領の改正もまた控訴人の教育的配慮に基づいてされるものであるから、その改正によって教科書の記述の変更を生じうることは、被控訴人の前記主張の立場からも肯定されなければならない。

三本件に関係する各時期の指導要領の内容

本件の訴えの利益の存否を判断するためには、本来からいえば、本件改訂検定申請に係る教科書がそのもとで検定を経た三五年指導要領と、現在効力を有する五三年指導要領との比較を行えば足りるというべきであるが、後述のとおり、五三年指導要領は、四五年指導要領の趣旨を一層推進したものと認められるとともに、その内容が極めて簡潔なものとなっているので、五三年指導要領の趣旨を理解する上からも、指導要領の変遷と教科書の記述の変化との関係を対比する便宜上からも、四五年指導要領の内容についても併せて検討を加えることとする。

1  三五年指導要領

〈証拠〉によれば、昭和三四年七月文部大臣が教育課程審議会に対して行った高校の教育課程の改善に関する諮問は、生徒の能力・適性・進路の多様性を考慮した教科・科目の履修の類型の明確化を目指し、また、高校における道徳教育の充実を図る一方において、生徒の一般的な教養ないし基礎学力の向上、科学技術教育の充実を重視するという見地から教育課程の改善について意見を求めるものであり、これに対して昭和三五年三月三一日にされた右審議会の答申は、社会科については、必修科目を多くし、かつ基本的事項を十分に習得させ、国家・社会の有為な形成者たるために必要な偏りのない教養を身につけさせること等をねらいとするものであったこと、右答申に立脚して定められた三五年指導要領(その社会科ないし「日本史」に関係する部分の文言は別紙一の「昭和35年版」の欄に記載されたとおりである。)では、普通科男子を例にとれば、その必修科目は一七科目、六八ないし七四単位で、社会科では日本史(標準単位数は三単位)のほか「倫理・社会」、「政治・経済」「世界史」(A又はB)、「地理」(A又はB)がすべて必修科目とされたこと、「日本史」の学習指導については、日本史の発展に関する基本的事項の理解を系統的に深め、特に日本の文化が政治や社会・経済の動きとどのような関連をもちながら形成され、発展してきたかを考察させ、現代社会の歴史的背景を把握させ、民主的な社会、文化などの発展に寄与する態度とそれに必要な能力を養うことを基本的な目標とし、その具体的な方途として、日本史における各時代の政治、経済、社会、文化などの動向を総合的にとらえさせ、時代の歴史的意義を考察させること、わが国の社会と文化とが祖先の努力の集積によって発展してきたことを理解させること、わが国の文化遺産について理解を深め、更に新しい文化を創造し発展させようとする意欲を高めること、日本史の発展を世界史的視野に立って考察させ、国際社会において日本人の果たすべき役割について自覚させること、史実をもとにした実証的、科学的に歴史の動向を考察する態度を養うことが目標として掲げられていることが認められる。

2  四五年指導要領

(一)改正の基本目標

〈証拠〉によれば、昭和四五年の指導要領の改正に関して、次の各事実が認められる。

(ⅰ)昭和四三年四月に文部大臣が前記審議会に対してした高校の教育課程の改善に関する諮問の理由は、①三五年指導要領により新設された科目である「倫理・社会」の内容の構成や程度について再検討を加える必要が生じたほか、基礎学力の向上の点からも教科・科目の内容の改善について検討の必要があること、②各教科・科目の内容の現代化を図るとともに、青少年が人間性を損なわれ、責任感や社会連帯意識を失いやすいという現代社会の中で、その人間性を養い、個性の確立を期し、社会的知性の育成を図る必要があること、③高校への進学率が八〇パーセントをこえたため、社会人として、国民として必要な資質を養うことが高校教育の重要な任務となり、社会人、国民として共通に身につけるべき教養の範囲や程度が問題になること、④進学率の上昇に伴い、能力・適性・進路を異にする多様な生徒にいかに適切な教育を行うかについて、一層の工夫、改善の必要があること等であったところ、これに対して、昭和四四年九月三〇日にされた前記審議会の答申における基本方針は、①人間としての調和のとれた発達を目指すこと、②国家・社会の有為な形成者として必要な資質の育成を目指すこと、③教育課程の弾力的な編成が行われるようにすること、④教育内容の質的改善と基本的事項の精選、集約を図ることであり、社会科については、(ア)社会事象に対する広く深い理解と公正な判断力とを涵養し、民主的な国家及び社会の発展に努める態度を一層育成するようにすること、(イ)「倫理・社会」、「政治・経済」の二科目、「日本史」(標準単位数は三単位)、「世界史」及び「地理A」又は「地理B」のうち二科目、計四科目を必修科目とすることが、また、「日本史」については、わが国の歴史を広い視野に立って正しく理解させ、特に日本の文化を時代的背景や歴史の流れと関連させながら総合的に考察させて、国民としての自覚を育てるように配慮すること、身近な資料を活用して具体的に学習させること、主題を設けて学習させることができるようにすること等が答申された。

(ⅱ)右答申に基づいて、文部大臣は、四五年指導要領を決定、告示した。その中で、社会科については、社会生活についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うことが基本目標とされ、そのため、①人間としての自覚を高め、自他の人格を尊重して基本的人権や公共の福祉を重んずるなど社会生活の基本についての認識を深めること、②現代社会に関する基本的事項を理解させ、社会生活上の諸問題に対する建設的な解決能力を養うこと、③国際協調の精神を養うこと、④さまざまな情報に接し、科学的、合理的かつ公正に判断しようとする態度とそれに必要な能力の基礎を養うことなどが具体的目標として挙げられている。また、「日本史」については、(1)わが国の歴史を広い視野に立って正しく理解させ、特に日本の文化を時代的背景や歴史の流れと関連させながら総合的に考察させることによって、現代日本の形成の歴史的過程を把握させ、国民としての自覚を深め、民主的な国家・社会の発展に寄与する態度と能力とを養うこと、(2)わが国の歴史に関する基本的事項を理解させ、歴史的思考力を培い、各時代の性格や時代の推移を把握させて、それぞれの時代のもつ歴史的意義を考察させること、(3)わが国の歴史にみられる国際関係や文化交流のあらましを理解させ、世界の歴史におけるわが国の地位や文化の形成過程を考察させて、国際協調の精神を養うこと、(4)文化の創造、発展及び伝播に関する祖先の努力や、文化の伝統についての理解を深め、文化遺産に親しみこれを尊重する態度を育て、更に新しい文化を創造し発展させようとする意欲を高めること、(5)資料をも利用し、史実を実証的、科学的に理解する能力を育て、歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する態度を養うことが学習指導の目標とされた(四五年指導要領のうち社会科ないし「日本史」に関係する部分の内容は、別紙一の「昭和45年版」の欄に記載されたとおりである。)。

(ⅲ)なお、文部省は、右指導要領の実施にあたって、高校用教科書の検定基準を全面的に改正し(昭和四三年文部省告示二八九号、昭和四五年文部省告示二八三号により一部改正)、新しい検定基準は、昭和四五年文部省告示二八四号をもって、昭和四八年四月一日以降高校の第一学年に入学した生徒の使用する教科書の検定から適用されることとなった。

(二)教育課程全般についての改正

〈証拠〉によれば、前記の教育課程の弾力的編成のために、四五年指導要領では必修科目が大幅に削減され、普通科の男子では一一又は一二科目、四七単位とされ、社会科については、普通科の場合「倫理・社会」及び「政治・経済」の二科目と「日本史」、「世界史」、「地理」(A又はB)のうち二科目の計四科目が必修とされた。この結果、従来と異なり、「日本史」を履修する生徒の中には「世界史」又は「地理」を履修しない者もいることとなり、「日本史」の学習指導上この点を考慮する必要が生じた。より具体的にいうと、前掲乙第八号証によれば、三五年指導要領の「日本史」の「内容の取扱い」の(5)では、近・現代史の学習においては世界史との関連を特に密にする必要があることを強調するとともに、職業教育を主とする学科において世界史を学習できない場合の近・現代史の学習指導について特に配慮が必要である旨を述べていることが認められるが、四五年指導要領のもとでは普通科の生徒の近・現代史学習についても同様な配慮が必要になるものと考えられる。

前記のとおり、教育課程審議会の答申には、教科・科目の内容について精選・集約を図るべき旨が述べられているが、これに対応して、四五年指導要領の「日本史」の「内容の取扱い」の(3)イで、「内容」の指導にあたっては「目標」達成のために必要な、基本的で発展的な指導事項を重点的に選び、枝葉末節にわたる事柄や程度の高い専門的な事項は避けることが指示されている。

(三)社会科の「目標」について

三五年指導要領における社会科の「目標」と四五年指導要領におけるそれとを比較すると、構成や文言に多少の違いはあるが、全体的にみれば、その実質にはほとんど差異を認めることができない。あえて言うならば、前者の5で「社会に関する問題について」「自主的に解決していこうとする」態度とそれに必要な能力とを養う、としているのに対し、これに対応する後者の4では、「さまざまな情報に対処し」て「公正に判断しようとする」態度とそれに必要な能力の涵養とを言っている点などに新しい社会情勢に即応した教育のあり方についての配慮が感じられる程度であって、これとても前者と著しく趣旨を異にするものとはいえない。すなわち、社会科の「目標」の次元においては、両指導要領の間に大きな違いはない。

(四)「日本史」に関する部分について

(1)「目標」

三五年指導要領の「日本史」の「目標」の(1)は、四五年指導要領のそれの(1)にほぼ対応するので、両者を比較すると、前者では「日本史の発展に関する基本的事項の理解を系統的に深め」ることを挙げているのに対し、後者では「わが国の歴史を広い視野に立って正しく理解させ」ることを挙げているのと、後者では「国民としての自覚を深め」ることが目標に加わっていることが主な相違である。

右相違の具体的意味合いについて、控訴人は、基本的事項の系統的学習から文化の総合的学習への変化であると主張するので検討するに、前記佐藤照雄(第一、二回)、所功の各証言によれば、四五年指導要領にいう文化の「総合的」学習とは政治、経済、社会の動向との関連を考慮しつつ文化を学習することを意味するものであるところ、そのような意味での「文化の総合的学習」に重点を置くことは三五年指導要領の「日本史」の「目標」(1)、(2)、「内容の取扱い」(4)でもうたわれているところであって、指導要領自体の文言からみる限り、この点において右控訴人の主張において端的に表現されているような指導要領の内容の変更があったことは明らかでない。のみならず、〈証拠〉によれば、三五年指導要領の右の点に関する部分の趣旨は、中学校の段階では生徒の判断力からいって文化の分野は比較的取扱いが困難であるところから、高校では特に文化の学習を重視することになったものであり、いわゆる文化史偏重の学習を意味するものではなく、中学段階まででは他の分野より遅れていた部門史としての文化史の学習をいわば追いつかせ、その際他の分野と関連づけた学習を行うことにより、小学校、中学校及び高校の各過程を全体として見通した歴史学習を調和のとれた形にすることを目指したものであることが認められるところ、前記奥田真丈、佐藤照雄(第一、二回)は、右指導要領は部門史としての文化史に重点を置くものであり、四五年以後の指導要領が、政治・経済・社会の動向と関連させつつ文化を中軸として日本史全体の学習を展開するという、いわゆる文化の総合的学習の方針を採っているのと趣を異にする旨供述するが、〈証拠〉によれば、四五年指導要領が文化の総合的学習を中軸としている趣旨は、中学校の社会科歴史分野では政治の流れを中心として学習をしたのに対し、生徒の発達段階をも考慮し、かつ、中学校での学習内容との間に発展的関連を保たせつつ高校独自の歴史教育を行うという点にあり、文化学習に重点を置く点において三五年指導要領の基本的性格を継承しつつそれを一層明確にしたものであることが認められ、文化学習の内容に関して両指導要領の間に存する差異は、同一方向におけるニュアンスの違いであって、必ずしも右証人らの供述するような顕著で明白なものとはいい難い。むしろ、指導要領の文言、前記のような昭和四五年の指導要領改正の経緯及び右佐藤照雄の証言(第一、二回)の一部に照らせば、右両指導要領の「日本史」の「目標」の(1)相互間の相違は、次のような点にあるものと認められる。すなわち、歴史的事象の理解についてはある程度系統的な把握が不可欠であることはいうまでもないが、三五年指導要領では、文化をはじめ歴史を構成する各分野につき、基本的事項の時代的な変遷の状況に関する知識の習得により力点が置かれているのに対し、四五年指導要領では、個別的事象についての知識の習得より、諸因子の相互交渉によるわが国の歴史の生成発展の様相につき、特に文化を中心として均衡のとれた理解を得させることと、右のような文化を中心とした学習により国民としての自覚をもたせることとに、より力点が置かれているものである。

三五年指導要領の「目標」の(2)は、四五年指導要領の「目標」の(2)にほぼ対応するが、後者には「歴史的思考力をつちかい」という目標が加わっている点に変化が認められ、これは、前記のように知識習得重視の傾向が修正されたことと関連するものと考えられる。

三五年指導要領の「目標」の(3)及び(4)は、四五年指導要領の「目標」の(4)とほぼ同旨である。

三五年指導要領の「目標」の(5)は、四五年指導要領の「目標」の(3)にほぼ対応するが、前者では日本史の発展を世界史的視野で考察させ、わが国の文化の特質を理解させる等、世界と日本との歴史ないし文化を対比的に考察することにやや重点が置かれているのに対し、後者ではわが国の歴史そのものにおける国際関係や文化交流などの側面に重点が置かれている。

三五年指導要領の「目標」の(6)は、四五年指導要領の「目標」の(5)にほぼ対応するが、前者が単に「史実をもとにして歴史の動向を考察する」態度を養うことを目標とするのに対し、後者は「歴史的事象を多角的に考察し、公正に判断する」態度を養うことを目標とする点で、やや目標が広がり、積極化している。

以上によれば、三五年指導要領の「日本史」の「目標」と四五年指導要領の「日本史」の「目標」とは、若干その力点を異にしており、その相違点は必ずしも微小とは断じられないが、きわめて顕著なものであるということもできず、「目標」自体が抽象的な文言から成り立っているものであるため、具体的にその相違が検定基準としてどの程度の違いを意味するかを知るには、更に指導要領の「内容」あるいは「内容の取扱い」における相違点等と併せてみる必要がある。

(2)「内容」

「内容」についてまず明らかなことは、全部で七つの大項目のうち四項目の標題を、「日本文化の黎明」、「古代文化の形成と展開」といった各時代の文化の動向そのものを対象としたものにしていることである。これは、三五年指導要領では、概して各項目の標題を各時代の政治あるいは社会の動向と文化の動向とを連記する形のものが多かったのと対比すると、右指導要領で示された文化の総合的学習を中心課題とする方向を更に推進する趣旨を示したものとみることができる。

次に、「内容」における記述で目に付くのは、その補足的記述の全体を通じて、三五年指導要領ではまず冒頭に政治体制ないし社会体制の変遷を挙げているのに対して、四五年指導要領においては当該時代の文化の形成、発展、伝播を挙げていることである。この点各時代の文化を中核とした学習を強調する姿勢が窺われる。その内容の個々についてみると、三五年指導要領の「内容」の(1)は、四五年指導要領の「内容」の(1)に対応する。両者を比較すると、前者ではその中の小項目の一つとして「石器時代の生活と文化」を掲げているのに対し、後者では「民族の起源」を掲げており、多少の視点の違いがある。これに関連して、後者の補足的記述では「日本列島の地理的位置、自然環境にも触れ」、原始社会の生活と文化との変化発展を「東アジアの動きと関連させて理解させる」としており、前述のような必修科目の変化に対する配慮を窺わせる。

三五年指導要領の「内容」の(2)及び(3)は、四五年指導要領の「内容」の(2)に対応するが、小項目の内容に大差はなく、補足的記述において、前者で「農民生活などにもふれ」とあったのが消え、後者では「古代の伝承や天平文化の特色に触れる」が加わっているのが目に付く変化である。

三五年指導要領の「内容」の(4)及び(5)は、四五年指導要領の「内容」の(3)に対応するが、小項目の内容に大差はなく、補足的記述において、前者では「公武対立の社会経済的な原因について理解させる」、「産業の発達に着目させる」など社会的、経済的な分野についての言及がやや多いのに対し、後者では「武家の規範にも触れる」とするなど文化面について比較的丁寧な記述をしているのが目に付く変化である。

三五年指導要領の「内容」の(6)及び(7)は、四五年指導要領の「内容」の(4)に対応するが、前者で「町人文化」を一つの小項目でまかなっているのに対し、後者では政治、経済の動向と対比しつつ元禄文化と化政文化とに分けて扱い、この時期の文化の動向を詳述する姿勢を示している。その他の点では大差はない。

三五年指導要領の「内容」の(8)は、四五年指導要領の「内容」の(5)に対応し、小項目の内容に大差はないが前者では一項目であった「西洋文化の摂取と近代文化の発達」を、後者では「明治維新と西洋文化の摂取」と「近代文化の発達」との二項目に分かち、文化と政治、経済、社会の顕著な変化との関連に着目させ、力点を置くことを示すとともに、補足的記述において、前者が「日本資本主義の特色」を挙げるのに対し、後者ではその点を「近代産業の発達」という視点から扱い、近代国家の形成過程での着目すべき事項として「封建的身分制度の廃止、政治思潮の展開」を挙げ、また、近代文化の発達について「外来文化と伝統文化との関連」に着目させるべきだとする。

三五年指導要領の「内容」の(9)は、四五年指導要領の「内容」の(6)に対応するが、小項目の内容にほとんど違いはなく、補足的記述において、前者が「戦争のもたらす人類の不幸や損失について深く考えさせる」としているのと、後者では「大正デモクラシーと市民文化、政党政治の発展」、「文化の大衆化」などを取り扱うべき具体的事項として挙げているのが主な相違点である。

三五年指導要領の「内容」の(10)は、四五年指導要領の「内容」の(7)に対応する。それぞれを構成する小項目にはかなり違いがあるが、共に日本の戦後の復興と国際社会での地位の変化とに重点が置かれており、実質的には大きな違いがあるとは思われない。ただ、両者の間に生じた時代の進展の程度との関係もあって、後者では国際関係における日本の地位の問題により大きなウエイトがかかっていることは、補足的記述に照らしても明らかである。

以上によれば、三五年指導要領の「内容」と四五年指導要領のそれとは、時代によって、ある程度の変化が認められる箇所とほとんど相違のない箇所とがあるが、全体的にいえば、後者においては、文化を中心にすえる基本的態度が現れており、日本の文化の特質やその形成の過程をより詳細に学習させようとする傾向が看取される。もとより、基本的事項を中心とする調和のとれた学習のための教材たるべき高校の「日本史」教科書の性質からいって、このような重点の置き方の相違が実際の教科書の記述にどの程度の影響を与えうるかについてはやや明確でない点もあるが、検定審査の基準におけるこのような変動は必ずしも微小なものとはいい難いと思われる。

(3)「内容の取扱い」

〈証拠〉によれば、昭和三五年及び昭和四五年当時の検定基準においては、それぞれ三五年指導要領及び四五年指導要領の「内容の取扱い」の部分は引用されていないことが認められる。したがって、指導要領の右部分は、それ自体検定基準の内容になっていないものというべきであるが、「内容の取扱い」は、本来指導要領の他の部分と一体を成すものであり、指導要領の他の部分、殊に「目標」の抽象的な文言の趣旨を明確にする意味をもちうるものと考えられるから、以下これを比較検討する。

三五年指導要領の「内容の取扱い」と四五年指導要領のそれとを比較すると、前者の(1)は後者の(3)ア及び(3)ウ後段に、前者の(4)は後者の(1)アに、前者の(6)ア、イは後者の(3)エに、前者の(6)ウは後者の(3)オにほぼ相当し、前者の(2)は、指導要領の一般的な趣旨の解釈に関するものであって、検定基準としては格別の意味をもつものではなく(なお、これに相当する事項は、四五年指導要領では、総則第2節第2款の「指導計画の作成に当たって配慮すべき事項」の4に挙げられている。)、前者の(3)は、四五年指導要領の「日本史」の「目標」の(2)に掲げられているところとほぼ同旨である。

これに対し、①後者の(3)ウ前段が、近・現代史の学習指導について、特に慎重な態度をもって臨み、客観的かつ公正な資料に基づいて歴史の事実に関する理解を得させるよう指示しているのは、前者の(5)が同じ近・現代史の学習について世界史との関連を特に密にすること等を指示しているのとは趣旨を異にしており、②後者の(1)イ、ウが地域学習、具体的な文化遺産についての学習に関する指示を掲げ、後者の(2)が主題学習に関する指導方針を掲げていること、③後者の(3)イが基本的で発展的な指導事項を重点的に選んで学習させるべきことを掲げているのは、前者ではみられない点である。右②の地域学習について、被控訴人は、前者の(6)イで「身近な資料などを活用して歴史的事象の具体化に努め」るといっているのと同じ趣旨であると主張し、当審証人臼井嘉一はこれと同趣旨の供述をするが、前者の(6)イは学習の資料として身近なものを使用することを述べているのに対し、後者の(1)イは学習の対象を身近に求めることを述べているのであるから、両者はその趣旨を異にしている。また、同じく②の主題学習について、被控訴人は、前者の(6)ウに「生徒の自主的な学習の展開」の工夫に触れているのは主題学習を含む趣旨だと主張し、右臼井嘉一は同趣旨を供述するが、右(6)ウは後者の(3)オに対応するものであって、主題学習そのものを掲げたものとは解されない。

右にみられる四五年指導要領で新たに付加された点のうち、①は、社会科の「目標」の3、「日本史」の「目標」の(3)等にみられる指示を、特にこれを徹底する必要性の高い近・現代史について具体化したものとみることができ、②は、「日本史」の「目標」の(4)にみられる指示を具体化した面のほかに、主題学習という自主的学習方法の推進を図る面を有する。また、③は、それ自体独立した要請に基づくものであるが、社会科の「目標」の2、「日本史」の「目標」の(2)にみられる指示とも関連する。

以上によれば、三五年指導要領の「内容の取扱い」と四五年指導要領のそれとの間には、地域学習及び主題学習の推進、学習内容の重点化において、既にみた「目標」及び「内容」と関連しながらも、それらにおける相違点とは別個のものとみることのできる相違点がある。

3  五三年指導要領

(一)改正の基本目標

〈証拠〉によれば、文部大臣は、昭和四〇年代後半からのわが国の経済の発達や科学技術の進歩がもたらした社会構造や生活全般の変化に加え、この間に高校進学率が九〇パーセントをこえた状況にかんがみて、昭和四八年一一月教育課程審議会に対し高校等の教育課程の改善について諮問したこと、これに対して同審議会は昭和五一年一二月一八日に答申を提出したが、右答申は、①人間性豊かな児童・生徒を育てること、②ゆとりのある、しかも充実した学校生活が送れるようにすること、③国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視するとともに児童・生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすることを基本とし、高校教育については、「現在の高等学校が大部分の青少年を教育する国民的教育機関としての性格を強めていることに注目してそれにふさわしい教育課程を構想するとともに、小学校、中学校及び高等学校の教育を一貫的にとらえ、その内容を精選してゆとりのあるしかも充実した学校生活を可能とするような教育課程の実現を目指」すことを提言し、また、殊に教科書について、その内容の精選や程度・範囲の適正化に努めるべきことを求めていることが認められる。右は、全般的にみて昭和四五年の指導要領改正に際して示された方針のより一層の徹底を図るものということができる。

〈証拠〉によれば、右答申に基づいて改正された五三年指導要領では、①教育課程編成の一般方針として、四五年指導要領で述べられていた、生徒の人間として調和のとれた育成のため能力・適性等に応じた教育を行うべきことのほか、新たに、教育基本法、学校教育法の理念に基づく道徳教育を各教科を含めた学校の教育活動全体を通じて行うべきこと、体育指導を重視すべきこと、勤労に関わる体験的な学習による望ましい勤労観や職業観を育成すべきことが強調されていること、②社会科の「目標」としては、「広い視野に立って、社会と人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質を養う」ことが挙げられていること(五三年指導要領のうち社会科ないし「日本史」に関係する部分の内容は、別紙一の「昭和53年版」の欄に記載されたとおりである。)、文部省は、右指導要領の実施にあたって、高校用教科書の検定基準を全面的に改正し(昭和五四年文部省告示一三四号)、新しい検定基準は、昭和五七年四月一日以降高校の第一学年に入学した生徒の使用する教科書の検定から適用されることになったことが認められる。

(二)教育課程全般についての改正

〈証拠〉によれば、五三年指導要領は、四五年指導要領より更に必修科目とその単位数とを大幅に削減し、普通科の男子については必修科目を七科目、三二単位としたこと、原則として第一学年で履修する広領域的な必修科目として「国語Ⅰ」、「現代社会」、「数学Ⅰ」、「理科Ⅰ」を新設することにより、第二学年以降、より自由な科目選択ができるようにしたこと、「日本史」(標準単位数は従前より増えて四単位)は、原則として「現代社会」を履修したのちに選択して履修すべきものとされたことが認められる。

この結果、「日本史」の学習指導は、「現代社会」との関連を考慮しつつ行われなければならないこととなり、このことは文部省著作に係る五三年指導要領解説・社会編(前掲乙第一七六号証)でも指摘されている。そして、前記のとおり、三五年指導要領及び四五年指導要領では「倫理・社会」及び「政治・経済」が必修とされていたところ、〈証拠〉によれば、三五年指導要領では「倫理・社会」を「日本史」より先に学習すべきものとされ、四五年指導要領では「倫理・社会」及び「政治・経済」と「日本史」との間で学習の先後を定めていないことが認められるが、これら従前の指導要領による教育課程と比較した場合、五三年指導要領のもとで具体的に「日本史」の学習内容にどのような変化が生ずるのかについては、指導要領の文言上これを知る手掛かりがなく、証拠上も明らかにされていない。

(三)社会科の「目標」について

前記のとおり、五三年指導要領における社会科の「目標」は、四五年指導要領のそれに比べて著しく簡潔なものになっているが、後者の冒頭に掲げられた総括的目標とほぼ同一の文言であって、その基本的な趣旨に変化はないものと認められる。新たに付加された「広い視野に立って」は、前記指導要領解説・社会編によれば、多角的・多面的な見方、考え方に立つこと、国際的な視野に立つこと等を意味するものと認められ、「理解と認識」を深める対象が四五年指導要領の「社会生活」から「社会と人間」に変わったのは、「公民的資質を養う」ことを目的とする教科の実践的性格により即した表現を採ったものとみることができ、また、「目標」の文言が簡潔になったのは、前記の生徒の能力・適性等に応じて弾力的な教育を行うという基本方針の反映とみることができる。

(四)「日本史」に関する部分について

(1)「目標」

四五年指導要領の「日本史」の「目標」を五三年指導要領のそれと比較すると、前者は五項目に分かれていたが、後者は一個の項目から成り、その内容も前者の主要部分を要約したのに近い。しかし、明確に異なっているのは、前者では全般的なわが国の歴史の理解を目標としつつ、特に文化の総合的考察に重点を置いていたのに対し、後者では、「わが国の歴史における文化の形成と展開」そのものを端的に高校における日本史学習の対象として掲げている点である。これは、前者指導要領解説・社会編によれば、五三年指導要領では小学校・中学校・高校の教育の一貫性が重視される反面、それぞれの学校段階ごとのまとまりにこだわらないこととするという基本方針に立脚した上で、小学校では日本の歴史上の人物と文化遺産を中心とした学習が、中学校では日本の歴史を中心としつつそれに関連する世界史を合わせた通史的学習がされていることを前提とし、高校では文化の総合的学習をさせることによって、日本の歴史を一層深く把握させようとするねらいと、前述のような教育内容の弾力化・精選の要請とに基づくものであると認められる。

被控訴人は、右社会科及び「日本史」の「目標」は、教育基本法四二条で規定している高校教育の目標を当該教科・科目の内包、外延に即して確認的に掲げたものにすぎない旨主張するが、右「目標」が積極的に学習の基本目標を設定する意味を有するものであり、単なる法の規定の引き写しのようなものでないことは、右に述べたところから明らかである。

(2)「内容」

五三年指導要領の「日本史」の「内容」は、全体を七つの大項目とし、そのうち六項目を各時代における文化の動向の学習に充て(時代区分はおおむね四五年指導要領のそれと同一であるが、同指導要領では近代を第一次大戦以前と以降とに分け、別項目としているのに対し、これを一つの項目で扱っている。)、残る一項目を地域学習に充てている。

それぞれの大項目の中の小項目は、前記のような文化中心の学習目標に従って設定されているので、四五年指導要領のそれとはやや趣を異にし、純然たる政治上又は経済上の事項そのものを小項目の標題として掲げることはほとんどない。その結果、四五年指導要領でみられた「摂関政治と院政」、「荘園の発達」や「南北朝の争乱」、「幕府の衰亡と国際環境」などの小項目が無くなった。もとより、高校における日本史学習の性格上、ある程度の通史的叙述は不可欠であり、これらの小項目が無くなっても、直ちにこれらを全く学習の対象外に置くことが可能とは考えられないが、右の項目の変動は学習の重点の置き方に影響を及ぼしうるものとみることができる。

また、従来みられた補足的記述が姿を消し、全体に簡潔なものになっているが、これは前述の学習指導の弾力化の要請の反映とみることができる。

(3)「内容の取扱い」

前記昭和五四年文部省告示一三四号による検定基準においては、「日本史」に関して指導要領中の「目標」及び「内容」が援用されているにとどまるが、右検定基準第四章に基づいて定められた高等学校教科用図書検定基準実施細則(昭和五四年七月一二日文部大臣裁定)(成立に争いのない乙第一七二号証)によれば、指導要領中の「日本史」の「内容の取扱い」の(1)、(2)及び(4)は、教科書内容の「選択・扱い」の点に関して検定基準の一部を成すものとされている。

そこで、四五年指導要領の「内容の取扱い」と五三年指導要領のそれとを比較すると、後者の前者に対する特徴点は、①文化の総合的学習を前面に打ち出し、政治、経済、社会的事象の取扱いにあたってはその文化的事象との関連に重点を置くことを求めていること(「内容の取扱い」(1))、②生活文化の取扱いにあたって民俗学の成果を活用し、その具体的様相を把握させるようにするよう求めていること(同(1))、③近・現代史の指導にあたって、核兵器の脅威に着目させ、民主的で平和な国際社会の実現の必要を認識させる必要を述べていること(同(2))、④地域学習の実施方法について詳細に説明していること(同(3))、⑤主題学習を、単に望ましいものとしてではなく、必要的なものとしていること(同(4))である。

(五)総括

以上によれば、五三年指導要領では、基本的には、四五年指導要領において掲げられた、知育に偏らず、人間としての調和のある発達、国民としての自覚の涵養、国際的な視野の設定を含めた公民的資質の向上を目指すという方向が再確認されているが、高校進学率の一層の上昇もあって、教育課程の弾力化が図られており、更に「日本史」のみに限っていえば、「内容」の簡略化が著しい反面、文化の総合的学習への一層の傾斜、生活文化の学習の一層の具体化、国際平和の重要性の認識の深化、地域学習及び主題学習の拡充・充実等の点で昭和四五年指導要領とは異なっている。

4  三五年指導要領と五三年指導要領との比較

以上検討を加えたところに基づいて、改めて三五年指導要領と五三年指導要領とを比較すると、三五年指導要領に比して五三年指導要領は、各時代の日本の文化の総合的学習、すなわち各時代における日本文化の形成、発展の状況を政治、経済、社会的事象との関連においてとらえることを端的に学習の中心課題とし、また、主題学習及び地域学習の拡充・充実、学習内容の重点化・弾力化、生活文化の学習の具体化、国際関係に対する認識の深化などを学習の目標及び内容としている点において三五年指導要領と相違しており、右相違は、それ自体としてみるかぎり一応微小なものとはいい難い。しかし、これらの相違点の内容からいって、一方の指導要領ではそれが全面的に排除され、他方の指導要領では全面的に肯定されるという関係にはなく、いわば力点の相違であるのみならず、右相違点のうち、文化の総合的学習の点や学習内容の重点化の点は観念的な次元での変化であり、前示の高校の「日本史」教科書の性質からいっても、それが実際の検定の場面でどの程度の意義を有するかを評価するのに若干の困難が伴うことを否定し難い。そこで、右の点について判断を下すためには、更に、検定制度の運用の実態の徴表としての具体的な教科書の記述内容をも参照するのが相当であると考えられる。また、主題学習や地域学習についても、その性質からいって、必ずしも教科書上の記述に全面的に依拠しなければならないものではなく、殊に地域学習については、その非定型的、個別的性格からいって教科書の記述がこれについて果たす役割には相当の制約があるものと考えられる(前掲乙第一七二号証によれば、前記検定基準実施細則においても、地域学習に関する教科書の記述は、右学習を進めるための一般的学習法や注意事項、ある地域の場合の例示などのうちいずれかを取り上げる程度にとどめるものとされている。)から、それが現実に教科書の記述にどの程度反映しうるものか及び反映すべきものかを判断するにあたっては、実際の教科書の記述をも参酌するのが相当である。

なお、被控訴人は、本件不合格処分の対象となった改訂箇所の個々の記述は、検定基準のうち、本件で問題になっている指導要領の改正と無関係な部分に抵触するとして不合格とされたもの、あるいは、右指導要領の改正と内容的に関わりのない記述であり、新指導要領下での改訂検定によりそれらの改訂が可能とされたとしても、教科書の記述の不統一を招くおそれはないから、被控訴人は訴えの利益を失わない旨主張するが、前示のとおり、本件の訴えの利益の存否を判断するにあたって問題となるのは、指導要領改正前に検定を経た教科書につき新指導要領下での改訂検定を行うことの可否であり、右可否を判断するためには、指導要領改正前に検定を経たという事実を、新指導要領下において改訂検定を行うための前提として十分なものと評価することができるかどうかが問われることになるところ、これを決するのは、新旧両指導要領を全体的に比較した場合にその間の変動が微小であるといえるかどうかによるのであって、教科書の記述における個々の箇所の改訂の内容が指導要領の改正とどのように関わるかによるのではない。換言すれば、このように指導要領の改正が介在する場合の改訂検定の許否を決定するにあたっては、右改訂検定を許すことによって教科書の記述の不統一が生ずるかどうかの観点より以上に、当該教科書全体につき新指導要領下での再審査を経させるのを相当とするかどうかの観点が重要であるといわなければならない。したがって、改訂箇所の個々の記述が教科書の統一性を害するかどうかのみを問題とする右主張は、採用することができない。

四本件に関係する指導要領の改正と教科書検定の具体的運用の状況

〈証拠〉によれば、文部省では、毎年、翌年度に検定申請を受理する教科書の種目をあらかじめ告示していること(検定規則六条四項参照)、文部省は、指導要領が全面的に改正された場合には、それが施行される二年前から新指導要領に基づく教科書を確保するための新規検定を実施し、この時以降は旧指導要領に基づく検定を経た教科書についての改訂検定は行わないのを例としていること、本件に関係する指導要領の改正についてこれをみれば、昭和四五年の指導要領の改正に伴い、昭和四六年度からは三五年指導要領に基づく教科書の改訂検定は行わず、四五年指導要領による新規検定のみを行うこととされ、また、昭和五三年の指導要領の改正に伴い、昭和五六年度からは、四五年指導要領に基づく教科書の改訂検定は行わず、五三年指導要領による新規検定のみを行うこととされたことが認められる。

被控訴人は、これまでの検定の実状からみて、教科書検定の実質的な基準は政治情勢等に左右され、指導要領の趣旨を逸脱して行われることが多く、指導要領が検定基準として営む機能は小さいと主張するところ、指導要領及び検定基準は、比較的抽象的な、あるいは概括的な文言を用いたものであるため、その解釈がこれを運用する当事者の主観によって左右されるおそれがあり、それが教科書検定制度上の問題点であることは否定できないが、仮にこれまでの検定制度の具体的運用にあたり審査基準の解釈適用が首尾一貫しない事例、あるいは指導要領の趣旨を逸脱した事例があったとしても、そのような事実は、直ちに指導要領が一般に検定基準としての機能を営んでいないことを意味するものではなく、ましてやそれが検定基準としての機能を営むべきことを否定するものではないから、右事実があるがゆえに指導要領の改正が教科書検定に与える影響を微小であると断ずることはできない。

また、〈証拠〉によれば、高橋史朗著「教科書検定」の巻末に「検定覚(案)目標及内容」と題する文書が記載されていることが認められるところ、被控訴人は、検定基準と無関係な内容のこのような文書が存在することは、実際の教科書検定において検定基準ないし指導要領が審査基準として機能していないことを物語るものであると主張する。しかし、右文書の内容は「日本史」の教科書の審査基準を掲げたものであるが、その標題から単なる試案であることが明らかであるのみならず、作成者も作成の経緯、時期も不明なものであるうえ、仮にそのような基準が存在するとしても、その内容の当否はともかく、前示の指導要領と教科書との関係に照らし、指導要領を審査基準とすることを排除するものと解する余地はないから、その内容について検討するまでもなく、右文書の存在は被控訴人の前記主張を裏付けるものとはいい難い。

更に、被控訴人は、文部省作成に係る「昭和三九年度の検定について」と題する文書(甲第五八号証)に「わが国の歴史について、その欠陥や失敗、暗い社会面などに特に重点を置いて教えようとするのは、妥当な扱い方とはいえない」旨の記載があること、三九年本の検定に際し、「特に近代史以降について感ずる問題だが、日本の国というものに対する尊敬、国に尽くした先輩に対する尊敬が足りない。」等の意見が文部省側から述べられたことを挙げ、これらは教科書検定が検定基準や指導要領以外の係官独自の審査基準によってされていることの証左であると主張するところ、〈証拠〉によれば、昭和四〇年五月に文部省が作成・配布した文書である甲第五八号証に、昭和三九年度の教科書検定に関する文部省側の見解として右主張のような趣旨の記載があること、三九年本の検定に際し文部省側から三九年本の記述について右主張のような趣旨の意見表明があったことが認められるけれども、これらは、教科書検定に関連してされた意見表明ではあるが、いずれも、日本史教科書全般あるいは三九年本全体に対する包括的な印象として述べられたものであって、それ自体は具体的な教科書の記述に対する検定審査基準適用の結果を述べたものではなく、また、その内容も、検定基準、指導要領と全く無関係であるともいえない(三五年指導要領の「日本史」の「目標」の(3)、(5)、昭和三三年の検定基準(前掲乙第二号証)の社会科の必要条件第1の2参照)ものであるのみならず、右の事実も、指導要領を排除して右意見のみが審査基準とされていることを意味するものとは認められないから、これら事実から右被控訴人主張を根拠づけることはできない。

五本件に関係する指導要領の改正と教科書の記述の変化

1  指導要領の改正と教科書の記述

指導要領それ自体は、教育課程の大綱を定めるもの(最高裁判所昭和五一年五月二一日判決・刑集三〇巻五号六一五頁)にすぎないのであるから、個々の教科書に記述される事項の具体的範囲は指導要領によって一義的に決定されるものではない。しかも、〈証拠〉によれば、各検定基準には例外なく創意工夫が認められるかが基準の一つとして設定されており、また検定基準中の基本条件を充足することは合格のために不可欠であるが、必要条件については、検定基準を構成する各項目についての評価を、検定事務を担当する教科用図書検定調査審議会の定めた、総点を一〇五〇点とする一定の技術的方法によって点数に換算し、これによる評点の合計が八〇〇点に達した場合には合格とする取扱いがされているのであって、この点からいっても、必ずしも特定の内容の記述の存否が合格のために必要不可欠とされているわけではないことが認められる。したがって、検定に合格した各教科書のそれぞれの構成や記述等には相当の幅がありうることが予想され、現実にも存在し(この点は、後に検討する個々の教科書の記述を比較することによって明らかである。)、指導要領につきある程度実質的な内容のある改正が行われても、それが必ず個々の教科書の記述の変化を招くとは限らない。たまたまある図書が検定の結果新旧いずれの基準にも適合するものと認められることがある(たとえば、検定基準が改正されたため新規検定を受けるに際して、基準の改正内容に直接関係する個々の記述の内容を全く改訂しないまま検定を求めたところ、検定に合格したごとき)としても、それによって検定が必要でなかったということはできない。けだし検定基準の適合範囲にはある程度幅がある以上、そのような結果が生ずることはありうることであり、その場合でも、新基準に従って審査されることにより、新指導要領の実施の保障が得られることになるからである。そして、上述したところから明らかなように、本件の訴えの利益の存否を判断する上で問題になるのは、旧指導要領下で検定を経た教科書を、全面的な再審査を経ることなく新指導要領下で使用させて差支えないかという観点、すなわち新旧両指導要領間の変動をどのようにみるかの点であって、両指導要領下での具体的な教科書の記述の変化は前記の問題について直接的な意味を有するものではない。しかし、既にみてきたように、高校「日本史」の指導要領の内容は、その「目標」及び「内容の取扱い」においては多分に抽象的、観念的であり、その「内容」についていえば、文化を中心とした通史としての項目の羅列と、場合によってそれに付加された若干の補足的記述とにとどまるのであるから、その検定基準としての実効性を確認するのに若干困難な点があることは否定できない。また、実際の三五年指導要領から五三年指導要領への変化の内容に照らしても、その変化の具体的意味を把握するためには、逆に具体的な教科書の記述の変化の方から検証する必要があることは前述したとおりである。そこで、さきにみたような指導要領の改正が検定基準の変更としてどのような意味合いをもつのかを更に検討する一つの方途として、具体的に指導要領の改正の前後における教科書の記述の変化の状況とその指導要領との関係をみることとする。

2  本件教科書における記述の変化

〈証拠〉によると、三五年及び五三年の各指導要領のもとで検定を経た三九年本、五六年本の項目を比較対照した結果は別紙二の「内容項目対照表」の該当欄記載のとおりであり(ただし、項目間の対応関係については、右対照表に若干正確でない点があることは後記認定のとおりである。)、その大項目(「編」)の構成を比較対照した結果は別紙三の二の該当欄記載のとおりであることが認められる。

そこで、右のような項目上の変化及び本文の記述の変化と指導要領改正との関係について以下検討する。なお、控訴人は、被控訴人側が本件教科書の検定を申請する際に提出した編修趣意書の記載を教科書の記述に変化があったことを示す証左として指摘援用するところ、〈証拠〉によれば、文部省は、検定を行う際の参考資料とするため、同省初等中等局長通知をもって、教科書出版者に対し検定申請のされた図書についての編修趣意書を提出させることとし、かつ、右編修趣意書には、図書の内容と指導要領の内容との対応関係を記載しなければならないものとしていることが認められ、〈証拠〉によれば、三九年本、四八年本及び五六年本についてそれぞれ編修趣意書が提出され、それには右初等中等局長通知の趣旨に沿う方法による記載がされていることが認められる。もっとも同各証によれば、右各編修趣意書の右対応関係に関する記載はさほど詳細なものではなく、一般に相当大きな分量をもつ「日本史」教科書の記述の中から右に記載された程度に指導要領の趣旨に沿う部分を拾い出して記載することができたとしても、そのことが指導要領の改正と教科書記述の変化との対応関係を示すものと直ちに断ずることはできないが、出版者ないし執筆者は、右記載によって、少なくとも教科書の編集が指導要領に即応していることを表明しているものというべきであり(新指導要領による改正部分に即応する記述が既に旧版教科書中にあるため、新版教科書では改めて当該記述の変更をしないまま、編修趣意書において右記述を新指導要領に対応するものとして指摘、援用したとしても、それはたまたま記述の先取りがあったからにすぎず、当該指導要領の改正が無意味であることを意味するわけではないことは、前示のとおりである。)、また、前記被控訴人の供述によれば、右各編修趣意書は、出版者である株式会社三省堂によってされた検定申請につき、その付属書類として同社の担当者が作成したものであり、被控訴人が関与していないことが認められるが、検定の対象が本件教科書であり、検定のため不可欠の書面である以上、被控訴人と全く無縁のものということはできず、少なくとも被控訴人がその記載に反する意図を有していたとはいえない。したがって、編修趣意書の記載も、教科書の記述の内容と指導要領との関係を知るための一つの資料となることを妨げない。しかしながら、指導要領の改正と教科書の記述の変動との対応状況は、直接教科書の記述そのものについてこれをみることによって最もよくこれを明らかにすることができるのであるから、編修趣意書の記載内容についてこれ以上検討することは省き、三九年本と五六年本を対象とし、直接教科書そのものの記述について前者から後者への変化の主要なものを比較検討すると、以下のとおりである(以下、この項において触れる三九年本の記述は前掲乙第二一〇号証によるもの、五六年本の記述は前掲甲第三四七号証によるものである。)。

(一) 全体の編別について

本件教科書の大項目(「編」)は、三九年本では「第1編 原始社会とその文化」、「第2編 古代国家と古代文化の形成」、「第3編 封建社会と封建文化の発展」、「第4編 近代社会の発展」となっており、五六年本でも、第4編の標題が「近代国家の成立と近代文化の展開」に変わった以外には変更はない。これを三五年指導要領及び五三年指導要領の「日本史」の「内容」の部分における大項目の立て方と比較すると、三五年指導要領では「(1) 日本文化の黎明」、「(2) 古代国家の形成と大陸文化の摂取」、「(3) 貴族の政治と文化」、「(4) 武家社会の形成と文化の動向」(鎌倉時代)、「(5) 武家社会の展開と文化の普及」(南北朝、室町時代)、「(6) 封建社会の確立と文化の興隆」(安土・桃山時代と江戸時代前期)、「(7) 封建社会の動揺と文化の成熟」(江戸時代後期)、「(8) 近代的国家の成立と近代文化の発達」(明治維新以後第一次大戦の前まで)、「(9) 国際情勢の推移と日本」(第一次大戦から第二次大戦終了まで)、「(10) 現代の日本と世界」の一〇項目であったものが、五三年指導要領では「(1) 日本文化の黎明」、「(2) 大陸文化の摂取と文化の国風化」、「(3) 武家文化の形成と庶民文化の萌芽」、「(4) 幕藩体制下の文化の動向」、「(5) 近代文化の形成と発展」、「(6) 現代社会と文化の創造」、「(7) 地域社会の歴史と文化」の七項目に変わり、前者の(2)、(3)が後者の(2)に、前者の(4)、(5)が後者の(3)に、前者の(6)、(7)が後者の(4)に、前者の(8)、(9)が後者の(5)に、前者の(10)が後者の(6)に相当し、そのうえ後者の(7)が新たに付加されている。

右によれば、本件教科書の大項目の設定の仕方は、鎌倉時代から江戸時代までを一括して第3編とし、明治時代以後を一括して第4編とする点で、三五年指導要領当時から既に指導要領のそれに対し著しい特色を示し、中項目である章別をみても、三九年本では第3編は鎌倉・室町時代(第6章)、安土・桃山時代(第7章)、江戸時代前期(第8章)、江戸時代後期(第9章)に、第4編は明治初年(第10章)、明治中期から大正期まで(第11章)、昭和初年から第二次大戦終了まで(第12章)、第二次大戦後(第13章)に、五六年本では第3編が鎌倉・室町時代(第6章)、安土・桃山時代及び江戸時代前期(第7章)、江戸時代後期(第8章)に、第4編が三九年本と同様の章別(第9章から第12章まで)に分かれており、指導要領の時代区分とは異なっている。しかし、指導要領の時代区分と本件教科書の時代区分との差異は、主としてある時代を一括して扱うか区分して扱うかという点に存するのであって、全く異なった見地から互いに相容れないような区分方法を採っているわけではない。また、両者の差異の中で最も顕著な鎌倉時代から江戸時代までの取扱いにしても、本件教科書で第3編全体を概観して当該時代の位置づけを論じたものとしては、編の冒頭の「世界史と日本史」の項があるにとどまるのであるから、時代区分の相違が全体的な歴史の把握について有する意義は認められるにせよ、それが教科書の具体的な記述の上にもつ影響は必ずしも大きいとはいえず、これを指導要領からの顕著な乖離とみることはできない。

(二)「第1編 原始社会とその文化」について

(1)項目の標題・配置等の変更とこれに伴う記述の変化(単なる標題の文言の変更にとどまり、項目の編成にも内容にもめぼしい変化のないものを除く。以下において同じ。)

三九年本の第1章中の「日本人の由来」の項目が、五六年本では第2章中に移されているが、内容に変化はなく、単に、確実に現代日本人の祖先と認められるのは縄文時代人からであることによる記述の配置の変更にすぎないと認められる。

三九年本の第3章1中「政治権力の発生」の項目が、五六年本では「弥生文化の発展」、「政治的権力の芽生え」の二項目に分かれた。内容的には若干記述が詳しくなった程度で大きな違いはないが、五六年本における項目の立て方自体を文化の記述を中心にするという態度の現れとみることはできる。

(2)その他の記述の変化

五六年本では、縄文文化から弥生文化への移行や当時における呪術の蔓延の原因の一つとして採集経済のゆきづまりによる飢餓発生の可能性を付加して指摘する(九、一〇頁)。

(三)「第2編 古代国家と古代文化の形成」について

(1)項目の標題・配置等の変更とこれに伴う記述の変化

三九年本の第3章1中の「邪馬台国」の項目が、五六年本では、「卑弥呼」の項目に変わったが、内容は若干詳しくなった程度で大きな変化はない。

三九年本の第3章2中の「天皇の出現」の項目が、五六年本では「古墳文化の成立」の項目に変わったが、旧記述では端的に大和政権の成立を述べているのに対し、新記述では、時代を特徴づける文化事象である古墳に着目し、これを出発点として当時の政治、社会、文化を概観するという手法をとっており、明らかな相違がある。

三九年本同箇所の「朝鮮半島への進出」及び「中国との交通」の項目が、五六年本では「東アジアの動きと倭の五王」の項目に変わったが、内容的には、日本の朝鮮半島への影響力に関する記述が簡単になり、中国の情勢に関する記述がやや詳しくなった程度にとどまる。

三九年本同箇所の「蝦夷と隼人」の項目及び「風俗・文化」の項目の一部が、五六年本では「古墳文化の発展」の項目に変わったが、前記のように「古墳文化の成立」の項目が既に設けられている関係もあって、その後の五世紀における古墳文化の地域的広がりや副葬品の変化等が三九年本よりやや詳しく述べられている。

三九年本同箇所の「産業と生活」の項目及び「風俗・文化」の項目の一部が、五六年本では「豪族と民衆」の項目に変わったが、内容的には若干の付加、訂正がある程度で著しい変化はない。

三九年本同箇所の「風俗・文化」の項目の一部と「民族宗教」の項目が、五六年本では「民族宗教」の項目に変わったが、内容的に大きな変化はない。

右数項目における変化から明らかなように、新記述では、「風俗・文化」をそれだけで独立した項目とする扱いを止め、時代の進展あるいは他の分野の諸事象との関連のもとに叙述する手法が採られている。

三九年本同箇所の「大陸文化の影響」の一部及び第4章1中の「中央権力の強化」の項目が、五六年本第4章1中の「仏教の受容と大和政権」に変わり、内容的に大きな変化はないものの、大陸、半島の状勢、大陸文化の伝播の政治との結びつきについての記述が詳しくなっている。五六年本の同箇所に新設されている「古墳文化の変化」の項目は、前代を特徴づけた古墳文化の変容を記述する。これに対応する旧記述が全くみられないわけではないが(三九年本二〇頁の注)、より詳しくなっている。

三九年本第4章1中の「聖徳太子」の項目が、五六年本では「聖徳太子と蘇我馬子」の項目に変わり、内容的に大きな変化はないが、当時の新施策を聖徳太子と蘇我馬子のいずれの業績とみるべきか争いがある旨の記述が付加され、記述がより詳しくなっている。

三九年本第4章3中の「遣唐使」の項目が、五六年本では「仏教興隆の政策」の前から後に移されたが、これは、その次の「天平時代の大陸風芸術」との関連を考慮したためと推測される。内容に変化はない。

三九年本第5章1中の「荘園の発達」の項目の一部が、五六年本では「土地制度の転換」の項目に変わり、一〇世紀における課税単位としての「名」についての記述が新たに付加された。なお、「名田」、「名主」、「不輸・不入の特権」などについての記述の変化については後記のとおりである。

同じく旧記述の「荘園の発達」の一部は、五六年本では第5章2の「荘園の発達」の項目に変わったが、これにより、「名田」、「名主」(ただし、その意味は旧記述と新記述とで相違する。)、「不輸・不入の特権」などは、旧記述では藤原盛期の事象として扱われていたのが、藤原末期の事象として扱われることとなり、また、新記述では、一一、一二世紀ごろにおける荘園の発達状況が明らかにされている。

第5章2中の「院政時代の文化」の項目は「武士の勝利」、「平氏の政権」の項目の前に置かれていたものが、これらの項目の後、第5章2の末尾に置かれることとなった。これによって、平氏滅亡までの時代の文化をこの項目でまとめて取り扱うことが可能になり、三九年本では孤立していた平氏納経に関する記述(三九年本六〇頁)が他の文化事象に関する記述と一括してされることになった。

付言するに、被控訴人は、本件教科書の平安時代の部分で政治、経済、文化をそれぞれ独立の項目として扱っていること及び「平氏政権」を右時代の末尾で扱っていることは、五三年指導要領の「日本史」の「目標」における文化の総合的学習及び四五年指導要領の「日本史」の「内容」における項目分けと矛盾しており、実教出版「高校日本史」の項目の立て方についても同様の現象がみられ、これらは指導要領の改正による検定審査基準の変動が微小であることを物語るものである旨主張するが、「文化の総合的学習」は、項目の立て方に影響を及ぼすことはありうるが、必ずしも教科書において文化と他の分野とを同一の項目内に一括し、関連づけて記述することを要求するものではなく、また、指導要領の「内容」の部分で示された項目等は、教科書の記述の眼目となるべきものを示したにすぎないのであって、必ずしも教科書の項目立ての基準とされることを予定しているものとは解されない。のみならず、本来平安時代から鎌倉時代への過渡期に位置している平氏の政権に関する記述を右両時代のいずれで扱うかは、学習指導上大きな問題であるとはいい難いから、右主張は採用することができない。

(2)その他の記述の変化

三九年本では、蘇我氏と物部氏との争い(二一頁)、藤原仲麻呂の乱、道鏡の専横(三九頁)、安和の変(四五頁)などの政権争いの経過についてある程度具体的な記述をしているが、五六年本では、これらについては最小限度の言及にとどめるか、全く触れていない。また、五六年本では、初期における農業技術の状況をやや詳しく説明し(一四頁)、古代琉球の宗教的歌謡を集めた「おもろそうし」を紹介し(二五頁)、聖徳太子の仏教信仰の内容に触れる(二八頁)などの新しい記述がみられる。これらは、文化的事象を中心とした記述をするという態度がより徹底した結果あるいは地域的な文化、歴史に対する配慮の結果であるとみることができる。

(四)「第3編 封建社会と封建文化の発展」について

(1)項目の標題・配置等の変更とこれに伴う記述の変化

三九年本第6章1中の「経済の発達」の項目は、五六年本では「農村の状態」及び「経済の発達」の項目に変わったが、内容に大きな変化はない。

三九年本第6章2中の「応仁の乱」の項目は、「守護大名」の項の次にあったものが、五六年本では後ろの「北山文化」の項と「東山文化」の項との間に移されたが、これは両文化を分かつ契機としての応仁の乱の意味合いを記述の上に反映しようとした結果であると考えられる。内容に変更はない。

三九年本第7章2中の「信長・秀吉の統一事業」及び「経済政策」の各項目は、五六年本では「信長の統一事業」及び「秀吉の全国統一」の各項目に変わったが、内容的には、信長の経済上、文化上の施策をもその統一事業の一環として総合的にかなり詳しく取り扱っている点が特に旧記述と異なる主要な点である。

三九年本同箇所の「土地制度の整備」の項目の一部は、五六年本では「太閤検地と刀狩」の項目に変わったが、内容的には大きな相違はない。

三九年本同箇所の「文禄・慶長の役」の項目及び「土地制度の整備」の項目の一部は、五六年本では「秀吉の外交と朝鮮出兵」の項目に変わったが、封建社会の統制維持策の一つとして「土地制度の整備」の項目に含めていたキリシタン対策の変更をこの項目に移したものである。

三九年本の「第8章 封建社会の固定と庶民文化の発達」は、その全体が五六年本では「第7章 封建社会の確立と文化の新動向」に3、4として包含されることになった。これは、安土・桃山時代と徳川時代の前半とを一括して扱おうとするものであるが、実際には両時代を通じた総合的な記述はみられないから、実質的には変更の意味は少ないと考えられる。

三九年本の第8章とこれに対応する五六年本の第7章3、4の項目を比較すると、項目の順序の入換えや標題の変更が大幅に行われている。これは、五六年本ではこの時代を寛永期と元禄期とに大別し、それぞれの時期について政治、経済、社会の動向と文化の形成・発展の状況とを相互に関連づけつつきめ細かく叙述し、また、標題からその項目の内容をとらえやすいようにしたためであるとみることができる。

三九年本第8章1中の「江戸幕府」の項目は、五六年本第7章3中の「江戸幕府」及び「幕府と藩の政治組織」の各項目に変わったが、内容的には大きな違いはない。

三九年本同箇所の「公家の統制」の項目は、五六年本同箇所の「朝廷と寺社への統制」の項目に変わり、寺社に対する幕府の統制の点の記述が付加されている。

三九年本同箇所の「武士の統制」の項目は、五六年本同箇所の「幕藩体制の確立」の項目に変わったが、幕府による主要街道の直轄、硬貨鋳造権の独占など多少の記述が新たに付加された程度である。

三九年本同箇所の「農民政策」の項目は、五六年本同箇所の「農民支配の確立」の項目に変わったが、内容的にはやや詳しくなった程度で大きな変化はない。

三九年本同箇所の「町人」の項目は、五六年本同箇所の「町人の統制」の項目に変わり、城下町における商人の地位、運上金の負担、商人の階層化等やや詳しい記述がみられるようになった。

三九年本同箇所の「初期の幕政」の項目は、五六年本第7章4中の「文治政治の展開」及び「元禄期の幕政」の各項目に変わったが、内容的には、文治政治と儒学との関係に触れるほかには大きな変化はない。

三九年本同箇所の「農業生産力の発達」の項目は、五六年本同箇所の「農村の発達」の項目に変わったが、農村の日常生活に関する民俗学的な記述等が新たに付加されている。三九年本同箇所の「水産業の発達」、「鉱業の発達」及び「手工業の発達」の各項目は、五六年本同箇所の「諸産業の発達」の項目に変わったが、都市職人の「仲間」組織等についての記述が省かれた反面、木綿の生産、染料の生産、製塩業、漁業、林業、燃料の生産等、当時の主要産業についての多角的な記述が付加されている。

三九年本同箇所の「商業の発達」及び「貨幣・信用制度」の各項目は、五六年本同箇所の「商業の発達」の項目に変わったが、その内容に変わりはない。

三九年本第8章2中の「儒学の隆盛」及び「宗教」の各項目は、五六年本同箇所の「儒学の隆盛」の項目に変わったが、内容的には大きな変化はない。

三九年本同箇所の「経世論と史学」及び「数学」の各項目及び第9章2の「国学の発達」等の項目の各一部は、五六年本同箇所の「儒学の隆盛」、「元禄期の幕政」の項目の各一部及び「学問の発達」の項目に変わり、記述がより詳細になり、新たに当時の修史事業の目的についての若干の説明を加え、また国文学、農業技術、本草学、天文学に関する記述が付加され、文化面についての網羅的な記述が図られている。

三九年本第8章2中の「庶民教育の普及」の項目は、五六年本同箇所の「元禄文化」の項目及び第8章2中の「新しい学問・思想の形成」の項目の各一部に変わったが、内容的には大きな相違はない。

三九年本同箇所の「浄瑠璃とあやつり人形」及び「歌舞伎」の各項目は、五六年本第7章4中の「人形浄瑠璃と歌舞伎の完成」の項目に変わったが、近松門左衛門以後の浄瑠璃が内容的に不振であった旨の記述が付加された以外には、内容に変わりはない。

三九年本同箇所の「儒学の隆盛」及び「美術」の各項目のうち、寛永期のそれに関する部分に若干の補足をしたうえ、同期の陶芸を加えて、五六年本第7章3に「寛永期の文化」という新たな項目を設けて当期の文化についての総括的な記述がされ、三九年本の右「美術」の項目の残りの部分は五六年本第7章4中の「元禄の美術」の項目に変わっている。

五六年本第7章3中には、新たに「対馬・琉球・蝦夷地の事情」の項目が設けられ、当時におけるこれらの地域の状況のほか、これら地域を舞台とした対外交流の模様が記述されている。

三九年本第9章1中の「武士の困窮」の項目は、五六年本第8章1中の「幕藩財政の窮乏」の項目に変わったが、前者が武士の困窮の現象面を主に述べているのに対し、後者はその原因の分析に重点を置いている。

三九年本同箇所の「天保の改革」、「雄藩の改革」の各項目及び同第9章2中の「開国思想の発生」の項目の一部は、五六年本第8章2中の「社会と政治の動揺」及び「天保の改革」の各項目に変わり、右「社会と政治の動揺」の項には、新たに天保の飢きんに関するやや詳しい記述が付加されている。

三九年本同箇所の「新しい生産様式の芽生え」の項目は、五六年本同箇所の「近代社会への動き」の項目に変わり、社会、経済構造の変動に伴う商人間や農村内部での対立抗争に関する記述が付加されている。

五六年本同箇所の「文化文政時代」の項目は、右時期の全体的な展望を述べるものとして新設された。

三九年本第9章2の「演劇」及び「美術」の各項目は、五六年本同箇所の「化政時代の演芸と美術」の項目に併合され、標題を変えてその特徴を明らかにするとともに、落語・講談についての記述が加えられている。

三九年本同箇所の「教派神道の発生」及び「新しい社会思想の形成」の各項目は、五六年本同箇所の「新しい社会思想と宗教」の項目に変わったが、内容に大きな違いはない。

三九年本同箇所の「国学の発達」の項目の一部、「洋学の発達」の項目及び第8章2中の「庶民教育の普及」の項目の一部は、五六年本同箇所の「新しい学問・思想の形成」の項目に変わったが、内容的には緒方洪庵の適塾に関する記述が新たに加わった程度である。

三九年本同箇所の「開国思想の発生」の項目の一部は、五六年本同箇所の「新しい社会思想と宗教」及び「世界情勢の変化と開国思想の芽生え」の各項目の一部に変わったが、内容的に特に変化はない。

三九年本同箇所の「文化の全国普及」及び「農村の生活・文化」の各項目は、五六年本同箇所の「地方文化の発達」の項目と同第8章1中の「寛政の改革」の項目の一部に変わったが、前者での農村の日常生活の記述に代わって、後者では地方在住又は地方巡歴の知識人の活動が述べられている。

三九年本第9章3中の「世界情勢の変化」の項目は、五六年本第8章2中の「世界情勢の変化と開国思想の芽生え」の項目の一部及び同3中の「激動するアジアの動き」の項目に変わり、欧米諸国のアジアへの進出とこれに対するアジア諸国の動きの記述がかなり付加されている。

三九年本同箇所の「列強の開国要求」の項目は、五六年本第8章2中の「世界情勢の変化と開国思想の芽生え」の項目の一部及び「日本の開国」の項目に変わった。内容的に大きな変化はないが、二箇所に分かれたのは、より時代の進展段階に即した記述方法を採ったことによるものと認められる。

五六年本第8章2には、同第7章3と同様、新たに「琉球と蝦夷地の状況」の項目が設けられ、幕藩体制下での琉球の社会、経済、文化やアイヌ社会の衰退について記述されている。

五六年本第8章3には、新たに「日本美術の西洋美術への影響」の項目が設けられている。内容的には三九年本第9章2中の「美術」の項目の一部をやや拡充した程度のものであるが、文化交流を重視する指導要領の方針に沿ったものということができる。

(2)その他の記述の変化

三九年本には、執権北条氏が政権を手中に収めた経緯が若干具体的に述べられており(六七頁)、また、明の遺臣鄭成功の活動に触れる(一二六頁)が、五六年本では前者の点の記述は簡単であり、後者に関する記述はない。これらは、記述を文化中心に絞った結果であるとも考えられる。

(1)で触れたもの以外で、五六年本で新たに付加された記述の主なものは、次のとおりである。

第6章1中の「新仏教の出現」の項目で、新仏教がいずれも現実の人間世界を超えた精神的境地への到達を目指し、世俗勢力に対する自主独立の立場を明確にしたことをその最も重要な特徴として挙げた(七七頁)。

第6章2中の「守護大名」の項目で、守護大名がやがて没落し、戦国大名にとって代わられた原因として、その社会的基盤の弱さを指摘した(八七頁)。

同箇所の「北山文化」の項目で、世阿弥の作品の内容について若干の記述を加え(九四頁)、また、同箇所の「東山文化」の項目で、文化の民衆化に関連して、京都の「町衆」に触れた(九八頁)。

(五)「第4編 近代社会の発展(五六年本では「近代国家の成立と近代文化の展開」)」について

(1)項目の標題・配置等の変化とこれに伴う記述の変化

三九年本第10章1中の「明治維新」の項目は、五六年本第9章1中の「王政復古と戊辰戦争」の項目に変わったが、相楽総三らの赤報隊等に関する記述が新たに付加されている。

三九年本同箇所の「国際関係」の項目は、五六年本同箇所の「国際関係」及び「版図の確定」の各項目に変わったが、内容的には、琉球領有問題に関する記述がやや詳しくなっている。

三九年本第10章2(「自由民権運動と帝国憲法体制の成立」)中の「教育勅語」の項目は、五六年本第9章3(「明治初年の文化」)中の「学校教育の展開」の項の次に移された。内容に変化はないが、教育勅語の有する文化的な意義に着目したものと解される。

三九年本第11章2中の「政党政治の発達」の項目は、五六年本第10章2中の「第一次護憲運動」及び「政党内閣政治の発達」の各項目に変わったが、内容的には、石橋湛山の植民地放棄の提唱に言及した以外には変化はない。

三九年本同箇所の「第一次世界大戦と日本」の項目は、五六年本同箇所の同名の項目及び「植民地解放運動の展開」の項目に変わったが、台湾の霧社事件等の記述が新たに付加されたほかには変化はない。

三九年本同箇所の「社会運動の発展」の項目は、五六年本同箇所の「労働運動の発展」及び「社会主義政党の成立」の各項目に変わったが、内容的に変化はない。

三九年本同箇所(すなわち大正期)の「労働者の生活」の項目は、五六年本第10章1(すなわち明治中・後期)中の同名の項目に変わったが、内容に変化はない。

三九年本第11章2の小項目の順序と、これに対応する五六年本第10章2の小項目の順序とを比較すると、かなりの相違があるが、これは、主として、三九年本では分野ごとに政治、経済、社会の順に記述するという方法を採ったのに対し、五六年本では時代の進展に従って右各分野の動きを記述するという手法によったためであると認められる(もっとも、文化関係の事象は、すべて次の中項目3で一括して記述されている。)。

三九年本第13章2中の「国民生活の変化」の項目は、五六年本第12章2中の同名の項目及び「日本国民の世界史的責務」の項目に変わった。右項目のうち前者には、主として高度経済成長期以降の国民生活の多方面にわたる変化の記述が新たに付加されている。

五六年本第12章2中には、「文化の新動向」及び「世界情勢の推移と日本の国内情勢」の各項目が新たに設けられた。「文化の新動向」では、主として文化の大衆化現象が、「世界情勢の推移と日本の国内情勢」では、昭和三九年ごろ以降の内外の諸事象が記述されているが、これらは主として三九年本刊行以後の時代の進展に対応して付加されたものと認められる。

(2)その他の記述の変化

五六年本には、新たに次のような記述が付加されている。

第9章1中の「士族の暴動」の項目には、征韓論の唱えられた背景に、士族の反政府的気分を外に向かって発散させようとする意向もあった旨の記述がされている(二〇五頁)。

第9章3中の「新聞・雑誌の発行」の項目には、明治初年の新聞が果たした政治的役割に関する記述がされている(二二三頁)。

第10章1中の「日清戦争」の項目には、日本の台湾獲得後、島民の武力抵抗が続いた旨の記述がされている(二三一頁)。

同箇所の「日英同盟と日露戦争」の項目には、日露戦争後の日比谷の焼き打ち事件を戦時下での負担に対する不満の爆発とみる記述がされている(二三四頁)。

同箇所の「社会運動の発生」の項目には、足尾鉱毒事件に関する記述が加えられている(二四二頁)。

第10章3中の「近代文芸の発達」の項目には、自然主義文学への展開が反面において社会的視野の喪失を意味したことが指摘され、宮沢賢治への言及がみられる(二六二頁)。

同箇所の「宗教と人生観」の項目には、神社神道の国教化が詳しく述べられている(二六七頁)。

第11章1中の「思想界・文化界の動向」の項目には、新感覚派文学の現実逃避の側面が指摘され、日本映画の芸術性の向上に触れられている(二七八頁)。

第12章1中の「文化界の再出発」の項目には、第二次大戦後の文学・美術に関する具体的な記述がみられる(二九五、二九六頁)。

また、第11章2中の「国民生活の破壊」の項目では、沖縄の戦闘における民間人の犠牲への言及や戦争犠牲者の人数の訂正がある(二八三、二八四頁)。

(六)「民衆のくらし」について

五六年本では、章や中項目の末尾に、八箇所にわたって「民衆のくらし」と題するコラムが挿入されており、その標題は、「1 縄文人の飢餓」、「2 万葉集の武蔵国の防人の歌」、「3 武蔵国久良岐郡の武士・僧侶と民衆の食生活」、「4 江戸時代初期の助郷役の負担」、「5 開港の影響」、「6 明治30年代の農民の生活」、「7 大正期の労働者の生活状態」、「8 横浜空襲の体験」であって、主として横浜市付近における各時代の庶民の生活の一端を具体的に記述するものであり、五六年本の巻末の「研究問題」の10においても、これを地域学習のサンプルとして挙げている。

もっとも、〈証拠〉によれば、右コラムは既に四八年本につき昭和五二年に改訂検定を経た際に新設され、五六年本に引き継がれているものであることが認められるから、その点からいえば五三年指導要領と直接の関係はないともいえるが、地域学習は四五年指導要領の「日本史」の「内容の取扱い」の(1)で文化学習の一方法として既に取りあげられていたところであるから、右コラムの設置も指導要領の方針に沿ってなされたものとみることができる。

(七)「日本史の研究方法」、「研究問題」について

五六年本では、巻末に「研究問題―主題学習のために―」という標題のもとに一一の問題を掲げ、その中の第一〇、一一問は地域学習に関するものである。また、同じく巻末に「日本史の研究方法」という項目を置き、右研究問題や自分の考えたテーマについて教科書以上に掘り下げて自主的な研究をすることを勧め、その手引きとなるべき記述をしているが、これらは、いずれも指導要領の主題学習、地域学習推進の方針に沿うものと認められる。もっとも、〈証拠〉によれば、昭和二七年検定の本件教科書には編又は章の末尾に「研究問題」が、巻末に「日本史全体にわたる研究問題」が掲げられ、また、編又は章の末尾に「日本史の研究方法」と題するコラム((一)から(五)まで)が設けられていたこと、昭和三三年検定、昭和三六年改訂検定の本件教科書でも「研究問題」の配置は同様であり、巻末に「日本史の研究方法」というコラムが置かれていたこと、その後発行された本件教科書ではこれらの記述は削除されたが、四八年本で「研究問題」が復活し、次いで五六年本で「日本史の研究方法」も復活したものであることが認められるが、このような事実は前記認定を左右するに足りるものとはいい難い。

また、〈証拠〉によれば、歴史学習において生徒に地域学習や主題学習をさせることが有益であることは昭和四五年及び同五三年の指導要領の改正以前から広く認識されていたことが認められるけれども、そのような事実は、上記認定のとおり地域学習や主題学習が指導要領で取り上げられ、本件教科書でこれに対応する記述がされたという事実自体を否定するに足りるものではない。

(八)図版について

五六年本の口絵は三九年本より数を減らし、かつ、美術的価値において代表的なものよりも各時代の風俗等を示す絵巻、屏風絵等を中心とするものに改められた。これに伴って、従来口絵中にあった各時代の代表的美術品の図版が本文中に挿入されることとなり、また、図版の数も増えている。

これは、一面において学習の便宜のために本文と図版との結び付きを図った一般的な工夫とみることもできるが、他面において、文化の学習のためには、これに関係する種々の図版を参照することが不可欠であるところから、文化の学習に重点を置いたことの結果でもあるということができる(新たに加えられた図版の中には、文化に関係するものとその他の領域に関係するものと両方がある。)。

(九)小括

以上を総合すると、全体的にみて三九年本と五六年本との間の項目の配列、記述内容の変化は著しいものであるとはいえず、また、その中には指導要領の改正とは関係なく行われた項目の編成の合理化、記述の是正又は補充とみられるものもかなり多いが、その一方で、構成については、分野別の記述への傾斜を若干抑制し、各分野の事象の相互交渉のもとに進む時代の推移を理解させようとする工夫がみられ、また、記述内容についても、全般に右のような観点に立ちつつ、文化に関する記述をより詳細にする傾向が見受けられる。具体的には、古墳文化の取扱い、古代の風俗・文化の取扱い、聖徳太子の信仰に関する記述、鎌倉時代の仏教に関する記述、信長の文化上の政策の取扱い、寛永期・元禄期の項目の構成方法、江戸時代の農村生活に関する記述、江戸時代の修史事業に関する記述、文化文政時代についての概括的な記述、琉球等の地域文化に関する記述等にこれを認めることができる。また、「研究問題」の設定等、指導要領の主題学習、地域学習推進の方針に即応した改訂も認められる(なお、被控訴人は、当審において、右のような記述の改訂は指導要領の改正が原因となって行われたものではなく、歴史研究の進歩や被控訴人独自の教育上の配慮等に基づくものである旨供述するが、改訂の直接の動機が右のようなものであったとしても、本件教科書の記述が検定審査に服することを前提としてされているものである以上、その記述内容の変遷を右のように評価する妨げとなるものではない。)。

3  「詳説日本史」系列の教科書における記述の変化

次に、山川出版の四二年詳説、五七年詳説及び新詳説(以下、これらを一括して「詳説日本史系列の教科書」ということがある。)の記述の変化について検討する。ここでも、前述したのと同一の理由により、編修趣意書についての比較検討は省略し、直接教科書そのものの記述をみることとする。

(一)四二年詳説と五七年詳説との比較

〈証拠〉によれば、四二年詳説と五七年詳説との間で、その記述に次のような相違があることが認められる。

(1)時代の概観の記述

四二年詳説、五七年詳説とも、日本史の時代を原始・古代、中世、近世、近代・現代の四つに区分しているが、四二年詳説では大項目(「部」)の冒頭部分においてごく簡単にその項目で扱う時代の特徴やその再区分の方法を述べるにとどまるのに対し、五七年詳説では、各部の冒頭において年表の次に「○○文化の流れ」と題する項目を置き、時代の推移に伴う文化の変遷の模様をやや具体的に概観している。

(2)コラムの設置

五七年詳説では、新たに各章の冒頭に「時代と文化」と題する項を設け、それぞれの章で取り扱う時代の文化を特徴づけるトピックを選んで掲げ、更に新たに一八箇所の「解説注」を設け、その中のかなりの部分で、通史的叙述では十分説明を加えることが困難な個別的な文化事象を取り扱うことにより、文化の時代相を具体的に把握させようとしている。

(3)本文の記述

前掲乙第一九〇号証において比較の対象とされている、室町時代、江戸時代、明治時代の文化に関する教科書本文の記述についてみると、五七年詳説では次のような点の記述が新たに付加又は補足されている。

(ア)室町時代について(「北山文化」、「庶民文芸の流行」の項目)

「能」の発生経過及びその芸術性、盆踊りの発生経過、民衆芸能の共同性についての各記述

(イ)江戸時代について(「生活と信仰」の項目)

「粋」、「通」の観念の流行、銭湯・髪結い床の娯楽場としての役割、寺社参詣の流行についての各記述

(ウ)明治時代について(「明治中期の思想界」の項目)

国家主義をめぐる思想の動向及び戊申詔書発布の経過についての記述

(4)地域学習への配慮

五七年詳説の巻頭の「みずからの学習のために」と題する項目の中に「地域史学習について」という部分があり、地域学習の目的について述べられている。また、各部の末尾には、後述の各章ごとの「研究問題」とは別に、「地域社会の歴史と文化」という標題のもとに一括された三又は四個の課題が掲げられ、それぞれの時代についての地域学習の具体的方法について助言を与えており、前記解説注の中でも、地域学習の例となるような内容のものが取り上げられている。なお、四二年詳説では「みずからの学習のために」に相当する記述はなく、また、各章の末尾に「学習問題」が掲げられているが、その中に地域学習をねらいとしたものは見当たらない。

(5)主題学習への配慮

五七年詳説の前記「みずからの学習のために」の項には「主題学習について」と題する部分があり、自主学習の主題を四種類(人物と時代的背景との関連、地域の特性とその時代的変化、生活文化の発展、世界史と関連づけた主題)の類型に分けて例示する。右四種類のうち、はじめの三種類は五三年指導要領の「内容の取扱い」の(4)アでの例示に即したものである。また、五七年詳説は各章ごとに「研究問題」を設け、右は主題学習の一助となるものと認められる。なお、四二年詳説にも前記のとおり「学習問題」が設けられているが、その中には単なる教科書の記述の復習のためのようなものが数多く含まれており、必ずしも主題学習に十分役立つものとなっていない。

以上によれば、五七年詳説は、文化の総合的学習の充実、地域学習の推進及び主題学習への積極的な取組みの点において四二年詳説に対し特徴を有し、右変化自体は指導要領の変化に即したものということができる。

(二)五七年詳説と新詳説との比較

被控訴人は、右のような四二年詳説と五七年詳説との間に存する記述上の変化は指導要領の改正によるものではないと主張し、その根拠として、五七年詳説と同じく五三年指導要領のもとで検定を経た新詳説では、五七年詳説の四二年詳説に対する特徴とされた記述が削除されていることを指摘するので、以下検討する。

〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(1)五七年詳説では、前記のとおり、各部の冒頭にその時代の日本の文化を概観した「○○文化の流れ」という項目が設けられていたが、新詳説では右項目は削られ、代わりに当該時代の世界全体の動向を概観する記述が置かれている。右は、新詳説の編修趣意書である乙第二〇〇号証の説明によれば、五三年指導要領のもとでは、「日本史」を学習する生徒の中に「世界史」を履修しない生徒がいることを考慮し、世界史の概況についての記述を付加したものであり、右削除の反面、本文の各時代の文化の叙述にあたって、これを概観する小項目を新設している箇所がある。

(2)五七年詳説で各章の冒頭に置かれていた「時代と文化」の項は削除され、一八箇所あった解説注は四箇所と著しく減少した。

(3)前記のとおり、五七年詳説の本文で四二年詳説に比べて記述が付加された部分については、新詳説でも五七年詳説とほぼ同一の記述がされているばかりでなく、例えば、室町時代の文化については、五七年詳説では「室町文化」という中項目(第5章3)の中に、「北山文化」、「東山文化」、「新仏教の発展と一向一揆」という三つの小項目を設けているのに対し、新詳説では、右「室町文化」という中項目の中に、「室町文化」、「南北朝文化」、「北山文化」、「東山文化」、「新仏教の発展」という五つの小項目を設け、初めの小項目「室町文化」で室町時代における文化の融合現象やその社会的基盤の広がり、室町文化そのものの推移を概観しているほか、以下の小項目中でも、五七年詳説より更に文化的事象に関する記述を詳細にしている(「南北朝文化」の項目における「増鏡」、「梅松論」への言及、「東山文化」の項目における華道、御伽草紙の説明の詳細化、有職故実への学問や唯一神道への言及等)。

(4)地域学習に関しては、新詳説でも、巻頭の「みずからの学習のために」の中の「地域史学習について」の記述はそのまま維持されており、各部の末尾の「地域社会の歴史と文化」の標題のもとに集められた設問も、ほぼそのまま維持されている(四二年詳説に比して一問題が削除され、一問題が変更されたのみである。)。

(5)主題学習に関しては、新詳説でも、巻頭の「みずからの学習のために」の中の「主題学習について」の記述は維持されているが、各章の末尾の「研究問題」は、四二年詳説のものをほぼそのまま引き継いだものと、全く四二年詳説のものとは別個に設けられた問題とが、ほぼ相半ばしている。個々の問題の入換えの理由は明らかではないが、全体として、右「研究問題」が主題学習に関して有する意義に大きな変化があるとは認められない。

(三)詳説日本史系列の教科書と指導要領の改正

以上みたところによると、新詳説では、五七年詳説でみられた指導要領の改正の方向に沿ったものと認められる記述の変化のうち、「○○文化の流れ」の項目、「時代の文化」の項目は削除され、解説注の設置の点は大幅に後退しているが、前記のとおり、「○○文化の流れ」の項目は、同じく指導要領の改正に沿った各時代における世界史の動向に関する記述に場所を譲り、本文中の文化に関する記述に吸収されたものであり、右以外の点では、前記の記述の変化はほぼそのまま新詳説でも維持されているのであるから、両者の記述の差異は、指導要領の改正との関連性を否定する根拠となるようなものではない、ということができる。

4  実教出版「高校日本史」における記述の変化

被控訴人は、四五年指導要領下で検定を経た五四年高校日本史と、五三年指導要領下で検定を経た五八年高校日本史とは、項目、内容のいずれにおいてもほとんど変わりがなく、変化のある部分も、指導要領の改正とは無関係である旨主張するので、検討する。

〈証拠〉によれば、五四年高校日本史と五八年高校日本史の江戸時代までの部分を比較した場合、項目立てについては、「テーマ学習」、「歴史のひとこま」と題するコラムに関する変動、項目の標題のみの変更と覚しいもの、項目の順序の変更や小項目の間の内容の入換えにすぎないものを別にすれば、項目の変動は著しいものではないこと(前者の小項目「白鳳文化」が後者では「藤原京」、「白鳳文化」、「漢詩と和歌」という三つの小項目に変わり、後者の第3章6に「歴史書の編纂」という小項目が、第9章4に「寛永期の文化」という小項目がそれぞれ新設されたのがめぼしい変動である。)、地域学習、主題学習についても、後者に前者にない新たな項目やコラムは設けられていないこと(「テーマ学習」のコラムは五四年高校日本史から既に存在している。)、また、「第4章 古代国家の解体と国風文化」の部分について本文の記述内容を比較すると、実質的に相違する点はきわめて少ないことがそれぞれ認められる。

5  総括

以上検討したところによれば、三五年指導要領と五三年指導要領との間に認められる指導要領の内容の変動について、本件教科書、詳説日本史系列の教科書においては、文化の総合的学習、地域学習、主題学習の点で、ある程度右指導要領の変動に対応する教科書の記述の変化が存することが認められる。他方、実教出版「高校日本史」においては、前項で比較した限りでは、四五年指導要領下で検定を経た教科書と五三年指導要領下で検定を経た教科書との間で、記述に大きな変化はなく、地域学習に関する記述にも特記するに値するものはないが、右比較は部分的なものであるうえ、もともと前認定のとおり、四五年指導要領と五三年指導要領とはその基本的傾向を同じくしているのであり、右に加えて前述のような指導要領と教科書の記述との間の一般的関係や地域学習の非定型的性格をも考慮すると、右高校日本史に関して認められる事実も、いまだ前記のような点における指導要領の変動と教科書記述との関連性を否定するに足りるものとはいい難い。

このように、本件における指導要領の主要な改正点である文化の総合的学習、地域学習、主題学習については、上記認定のような教科書の記述の変化の中に、その検定審査基準としての具体的な実効性が明らかにされている。これに対し、控訴人の主張する他の改正点である内容の精選ないし重点化・弾力化の点については、指導要領が教科書の記述に格別の影響を与えたとは認められないが、右の点は、一般的に指導要領改正の基本方針とされてはいるものの、前述のとおり、具体的には指導要領の社会科ないし「日本史」に関する部分で余り積極的な位置づけをされておらず、既にみたとおり、「文化の総合的学習」そのものに学習の焦点が絞られていることを別にすれば、わずかに「内容」における項目の整理及び記述の簡略化や「内容の取扱い」における、細かな事象や程度の高い専門的な事項は避けるという注意に反映されている程度にすぎない(この点は、検定基準中の各教科・科目の目標・内容に関し指導要領を援用している部分(社会科の必要条件の1等)によるよりは、むしろ分量・配列等を規制する部分(社会科の必要条件の4)の適用によってチェックされるべき問題であるとも考えられる。)のであり、前記のような教育課程審議会の答申はあるものの、内容の精選という事柄自体、実際問題としては、教科書の記述において積極的に取り組むことがやや困難な性質のものと考えられるから、これが教科書の記述に影響を与えていないことは、指導要領の検定審査基準としての実効性を否定する根拠とするに足りない。

もっとも、学習の内容を文化の総合的学習に限定するという観点を徹底するならば、五三年指導要領下においては教科書の記述をこの観点に立脚して更に重点化、簡略化することも考えられ、この点からみれば、指導要領の内容精選の目標が現実の教科書の記述において十分貫徹されていないともいえるが、前記のような内容精選という事柄の性質等にも照らせば、このことから直ちに指導要領の検定審査基準としての実効性一般を否定するのは相当ではない。

六結論

これまでに検討を加えてきたところによれば、指導要領の改正の程度が微小であって、審査基準の実質的な変更が少ない場合には、新指導要領に基づく新規検定を経ることなく、旧指導要領下の検定を経た教科書を新指導要領のもとにおいて教科書として引き続き使用させうる余地があるとの解釈は可能というべきであるが、本件に関する指導要領の内容の変動の程度、指導要領の改正に際しての検定制度の運用の実際、指導要領改正に基づく教科書の記述の内容の変化から認められる、右指導要領の変動が検定審査基準として有する実質的な意義に照らせば、右変動が微小なものであって、審査基準の実質的変更が少ないとは到底いうことができず、三五年指導要領下で検定を受けた教科書を引き続き現行の指導要領下で教科書として使用することは教科書法制上望ましくない事態であるといわざるを得ず、したがって、右教科書を改訂するには、新規検定を経ることが要請されるものといわなければならない。しかも、弁論の全趣旨によれば、「日本史」の教科書については指導要領の改正があったにもかかわらず旧指導要領下で検定を経た教科書を引き続き使用することがやむを得ないとされるような特別の事情もないことが明らかであるから、この点からいっても、控訴人として右改訂に協力すべき立場にあるとはいい難い。そうすると、少なくとも昭和五三年の指導要領の改正の結果、被控訴人は、本件不合格処分の取消を受けても、右処分の対象となった三九年本について改訂検定を受ける余地はなく、被控訴人が、本件訴訟によって、右改訂検定に合格してその所期する内容の著作を教科書として出版する可能性を回復することは、確定的にできなくなったものであって、本件訴訟につき本来的な訴えの利益は失われたというべきである。

第二訴えの付随的利益について

被控訴人は、指導要領の改正により本件訴訟について本来的な訴えの利益が失われたとしても、本件不合格処分の取消により、右処分の対象となった教科書原稿本が副教材等として使用されうる状態を回復するという点において、被控訴人はなお訴えの利益を有する旨主張する。

学校教育法二一条二項は、教科書以外の図書の副教材としての使用について定め、同法施行規則七三条の一二第二項は、盲学校等について、文部大臣の検定を経た教科書又は文部大臣において著作権を有する教科書以外の図書を教科書として使用しうることを定めているが、同法の同条項は、副教材として使用されるための要件として、その使用が授業に関して「有益適切なもの」と定めているのみであり、また、同規則の同条項は、右盲学校等で非検定教科書が使用されるための要件として、「適切な」ものと定めているのみであって、それ以外の制限を付していない。なるほど、〈証拠〉によれば、被控訴人が指摘するような昭和二三年八月二四日付の都道府県知事、関係諸学校長あて文部省教科書局長通達(発教一一九号)が存し、教科書検定で不合格となった図書は教育上好ましくないものであるから、補充教材その他いかなる名目においても、また、いかなる方法でも、教材として使用し、あるいは児童・生徒に使用させてはならない旨を指示していることが認められる。しかし、右通達が、右学校教育法等の規定に優越するものでないことはいうまでもなく、単に所管の行政機関として一つの教育行政運営上の指針を示したにすぎないものとみるべきであって、副教材等としての使用に関する法令上の要件は前示のとおりであるから、本件不合格処分がその対象となった図書の副教材等としての採択に影響を及ぼすとしても、右は、事実上の不利益にすぎず、訴えの利益を基礎づけるに足りる法的な不利益ということはできない。

第三結び

以上のとおり、本件訴訟について現在では訴えの本来的利益も付随的利益も存しないものというべきであるから、本案について審判した第一審判決を取り消し、本件訴えを不適法として却下することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹野達 裁判官加茂紀久男 裁判官河合治夫)

別紙〈省略〉

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